地元志向とは「あるあるネタ」志向である

地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会 [著]阿部真大 - 大澤真幸(社会学者) - 本の達人 | BOOK.asahi.com朝日新聞社の書評サイト

http://book.asahi.com/ebook/master/2013120500005.html
「地元と聞いて思い出すものは何ですか?」というアンケートをとったときに返ってくる答えは、「イオン」「ミスドミスタードーナツ)」「マック」「ロイホロイヤルホスト)」などである。この答えは驚きである。なぜなら、これらのものに、地元的な固有性はいささかもないからである。

インターネットを使ったコミュニケーションを使いこなす若者が大事にするのは共通体験である。
従って「地元と聞いて思い出すものは何ですか?」という問いに「近所の○○商店」とか「地元名物の○○まんじゅう」では仲間同士の共通体験になりえず、さらにSNSで知り合った見たこともない仲間との共通体験にもなりえない。

双方の仲間を満たす共通体験はイオンでありミスドでありマックでありロイホなのだ。これら商業施設は全国津々浦々に存在することが肝なのだ。

例えばハンバーガーを買って食べるという行為をしても、地元の喫茶店で売っているとても美味しいご当地バーガーを食べても、その体験を共有してくれる人は少ない。少々味は落ちても、マクドナルドのハンバーガーでなければダメなのだ。

例えばコカ・コーラを買って飲むという行為も、近所の自販機で買って飲んだり、地元の大型スーパーで買って飲んでも、その体験を共有してくれる人少ない。売ってるものが全く同じであっても、イオンやセブンイレブンで買って飲むからその共通体験を共有してくれる人がたくさん生まれ、若者は幸せを感じるのだ。

そして、この共通体験をもっとも共有しやすい都市こそ、地方都市なのだ。

東京ではもっと美味しい一流シェフが作ったハンバーガーがあったり、見たこともない変わり種のハンバーガーがあったりと、マクドナルドを超越したハンバーガーを出すお店がたくさんあって、話題作りの先頭を走れる状態にある人がたくさんいるのだ。

ところが、地方では話題の先頭を走ることは難しい。
と、なれば、先頭を走ることは無理でも、大多数の平均値、ど真ん中に居ることで「あるある」話に花を咲かせられる共通体験の多さというポジションに居ることが可能となる。

彼らは、地域の人間関係に対して、ことのほか背を向けている、ということになる。地域の共同性が好きでもないのに、わざわざ地方にとどまっているのだ

このことからも分かるように、若者は地域の土着性を気に入って地方に住んでいるわけではない。
田舎にいながら、最低限の都会的な話題についていけるポジションがいいのであって、地元民との濃密でローカルな話題に混ざりたいとは思っていないのだ。つまり、地方に住んでいながら、話題の種は「全国区」の話がしたいのである。
逆に言えば、若者に海外志向がないのも同じ理屈である。海外にイオンやミスドやマックやロイホが日本並みに出店していれば共通体験には事欠かないが、そんな外国は殆ど無いだろう。

この感覚は東京に住む人には案外わかりにくいのかもしれない。
東京に住む人にわかるように例えるなら、Amazonが「東京には配達しません」と言ったらどう感じるだろうかを考えてもらうと分かるかもしれない。
地方の若者は大なり小なりこういう疎外感を味わっているのだ。

地方都市は、余暇の楽しみのための場所がない田舎と刺激が強すぎる大都市との中間にある「ほどほどパラダイス」になっている、というのが、本書の前半の「現代篇」の最も重要な主張である。

田舎過ぎるとイオンもミスドもマックもロイホも存在しなくなる。これでは「あるある」話についていくことすらできず、非常に惨めな思いをすることになる。

彼は、東京とか日本とかといった領域が意味をもたないような、グローバルで普遍的な空間(大洋)を移動する。しかし、その自由な移動のためには、地元を超える地元に根を張る夏が必要だ。こうした両極の短絡的な結びつきは、どのようにして可能になるのか。

あまちゃんの例はちょっと極端にしても、インターネットで話題になることをふんわりと眺めてみれば分かるのではないだろうか。
ニコニコ動画にコメントをつけると楽しいのは擬似的に同時に他人と動画を視聴している気分が味わえるからであり、オンラインゲームで外国人とパーティを組んで遊べる時代であり、iPhoneを手に入れて、世界共通のアプリを動かす体験をすることができる時代だからである。
これ全て、鍵は共通体験の共有にある。

しかし、共通体験を共有するだけなら東京でもいいのではないだろうか?

もちろん東京でも共通体験は可能だ。むしろ人口が多い分チャンスも多いだろう。しかし、東京は忙しすぎるのだ。
生活にお金がかかりすぎたり、仕事や通勤時間が長すぎて共通体験をする時間がないのだ。それどころか、ブラック企業に勤めようものなら、共通体験どころか、まともな生活が送れない可能性が出てくる。
それに比べれば、地方は生活にかかるお金もそれほど必要ないし、通勤時間も短いから自由な時間が持てる。
これはいわゆる「ワークライフバランス」に通じるものがあると言って良いだろう。

田舎すぎない地方というのは、田舎と都会の両方のいいとこ取りができるのだ。東京のような大都市で最先端を行く尖ったポジションにいたいというのであれば、それは地方ではかなわないだろう。

尖ったポジションを獲得するための生活、忙しすぎて自分の時間が持てない生活。それが東京で生活することの犠牲になるポイント…すなわち、イオンにもミスドにもマックにもロイホにも行けなくなる生活では、それは田舎暮らしをしているのと同じことなのだ。

リスク回避すらさせないのがブラック企業

ワタミユニクロ…短絡的なブラック企業批判が問題を延命?社員や客が加担も

http://biz-journal.jp/2013/11/post_3362.html
 ワタミユニクロ労働環境面では確かにブラックだが、同じレベルのブラック度合の会社ならほかにも多数存在している。なのに、なぜこの2社ばかりが叩かれるのだろうか。

 それは、「経営者が目立つ」「儲かっている」「みんなが叩いてる」など、なんとなく同調しやすい空気があるからではなかろうか。

これはあくまでカウンターとして叩いているのではないだろうか。ワタミユニクロのようなBtoCの企業は一般消費者と直接触れ合うがゆえ、営業時間から扱う商品、価格、客の入り、従業員の接客態度までよく目立つ。ある意味、消費者が経営者目線や株主目線で企業を評価しやすいからだろう。
一方、「経営者が目立つ」のでマスコミ受けがいいし、勢いがある企業ということでマスコミが持て囃す。その裏付けとして「儲かっている」からその経営方法は正しく、経営者も褒められる存在であり、模範とすべき人である、という扱いをされる。
さらに、従業員として働く立場になる人の多さがあげられよう。ワタミユニクロのような企業はアルバイトやパートを多用する。つまり、短期雇用が多いので、必然的に「元従業員」が大量に発生する。すると「元従業員」という内部で働いたことしかわからない経験談などがネット上などで暴露され、マスコミで報じられるような輝かしい企業経営の影の部分、すなわち「ブラック」な部分が明るみになると「商品の魅力や価格に見合った商品で勝ち取った栄光ではなく、多数の従業員の犠牲で勝ち取った栄光」という企業経営の仕組みが見えてくる。
根底に流れているのは「マスコミは都合の悪いことは報道しない」「都合の悪い情報はネットにある」という考え方である。
マスコミは広告主というスポンサーの上に成り立つ商売である以上、スポンサーを叩く報道はしないだろう、と考えるのは自然に事であろう。
一方、ネットは個人の発言が自由であり、個人がお金を払ってネットに情報を発信していることが多いため、言論の自由に収まる範囲であれば基本的には誰を叩いても文句を言われる筋合いはない。もっとも個人が発信する情報の真偽は定かではないのだが、「元従業員」と名乗る人が、いかにも内部の人しか知らないような情報を流せば、その情報は確からしい、真実っぽいという評価を受けることになる。
「金を出した人が口を出す」という意味ではどちらも同じであるが、これが両メディアの特性の違いである。

この両メディアが伝える情報のギャップが「なぜこの2社ばかりが叩かれるのだろうか」に対する答えだ。ワタミユニクロを叩いているのはその通りだが、その影には、ワタミユニクロを持ち上げるマスコミも叩いているのである。高給取りで知られるマスコミが「庶民ヅラ」してワタミユニクロを持ち上げ、ひどい目にあっている従業員の影の部分を報道しないから叩くのである。

もうひとつ考えられるのは「儲かっている」という点である。
ブラック企業だろうがなんだろうが、儲からなければ存続はできない。いつか淘汰されるのだ。それなら叩く必要はない、という判断になるものと思われる。

解雇には厳しく向き合う一方で、異動、転勤、転籍、出向など、会社が社員に対して広範な権限を振るうことについては黙認してきている。産業構造も社会情勢も変化した今、抜本的に見直すタイミングが来たと考えていいだろう。まずは解雇の金銭解決あたりから検討してはいかがだろうか。

企業と従業員のそれぞれが負うリスクと耐えられるリスクを勘案すると「解雇の金銭解決」は企業側に有利すぎるだろう。
今支払っている給料の10年分を払います、というぐらいの金銭なら、企業側が負うリスクとしては十分高いものであり、従業員側にしても負うべきリスクに見合った金銭だろうけど、ここまで気前のいい企業はないだろう。よくても給料の数カ月分を払うだけにとどまることは容易に想像ができる。
従業員が負う最も厳しいリスクが「無収入になること」なのだ。解雇には厳しいけど異動や転勤には緩いというのは、従業員の収入が途絶えないから、嫌々ながらも社会に広く受け入れられているのだ。
この現実を考えてみると金銭解決では企業側に都合が良すぎるだろう。解雇の条件として従業員側が受け入れられるのは収入が途絶えることのない「新しい転職先を確保した上での解雇」だろう。片道切符と言われる転籍や出向にそれほど社会的な批判が集まらないのもこうした理由があるからである。
そもそも、その無収入になることへの備えとして失業保険があるわけで、収入が途絶えることに対するリスクの高さは国レベルで支えなければならない程のものなのだ。1ヶ月や2ヶ月で新しい就職先が決まる人はいいかもしれないが、そう簡単に新しい職場が見つかるような世情ではない。中高年の再就職であれば年単位の時間がかかるだろう。
これを受け入れてなお多くの従業員は賃金が低下する。そのリスクはどうしても従業員が負わざるをえない。

その辺の落とし所を上手いこと突いてきた企業の一つがソニーである。

「転職支援」で使い捨て 正社員切り 成長産業に

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013110702000109.html
 ソニーの広報担当者はキャリアデザイン推進部について「次の職場にスムーズに就いていただくための調整部署。社外転身を希望する社員にはその支援も実施している」と説明する。リストラ研修については「そのような事実はない」と否定した。

 人材サービス会社が、企業から正社員のリストラを受託する「再就職支援業」は、二〇〇八年のリーマン・ショック後拡大。解雇の実情に詳しい東京管理職ユニオン鈴木剛書記長によると「一人辞めさせると数十万円という料金設定で、人材会社の収益の柱になっている」という。

企業からすれば「再就職先を探してリストラ社員にあてがう」なんて手間隙かかることはやっていられない、もっと機動的に人を雇ったりクビにしたい、というのが本音だろう。だから金銭解決にこだわるのだろう。裏を返せば「転職活動」や「再就職」がソニーのような大企業の力を持ってしても如何に大変なものかということを現しているのだ。

http://biz-journal.jp/2013/11/post_3362.html
イヤなら辞めたらいい。職業選択の自由があるのだから。

そうは言っても、これがなかなかできない。
ブラック企業勤務ならなおさらだ。仕事をしながら転職活動をする時間もないだろうし、仕事をやめてから就職活動する金銭的余裕もないだろう。なぜなら、低賃金で長時間働かされるのがブラック企業だからだ。
ブラック企業ブラック企業と呼ばれるのは従業員の立場として最も弱い部分をである「余裕のない収入」「余裕のない時間」を突いて間接的に行動を制限するからなのだ。早い話、企業に歯向かうリソースを従業員に与えないことが企業経営のコツになっているのだ。
従業員に会社の近くに住むよう強制され、呼び出しがあればすぐに駆けつけられるように「間接的に行動を制限する」企業があったり、全従業員に社員寮に住むことを強制し、家族や友人との会話機会を減らすことで「間接的に行動を制限する」企業が叩かれるのもこういう理由があるからなのだ。

確かに「ブラック企業」というバズワードの威力はものすごく、それがあるだけで雑誌の売上やネット記事のPVはある程度上振れするレベルなわけだが、逆に言えば「便利な一方で、本当の問題の所在があいまいになる言葉」だともいえる。

と、いうわけで、本当の問題はブラック企業の存在が「無収入になるリスクに耐えられなくなる」事と「そのリスクを回避するための行動を間接的に制限されてしまう」事にある。

男性が「面倒、無関心、嫌悪」だと思うのは、女性のご都合主義が過ぎるからだ

特集ワイド:カノジョは面倒?「草食男子」ここまで 「セックスに無関心、嫌悪」25% 「性体験なくても平気」

http://mainichi.jp/feature/news/20131010dde012040013000c3.html
問題は、男性ホルモンが一番多く分泌されているはずの20代男性がセックスに関心が向かなくなり、敵視する人まで現れていることだ」と指摘する。セックス以外の異性との関わりを「面倒」「嫌悪している」とした人も20〜24歳で27・7%、25〜29歳で29・4%と上下の年代に比べて高い。

男性が持つ性欲は汚らわしい、忌避すべき、嫌悪すべき、他に興味をそむけるべき、興味をもつべからず、と大人がさんざん仕向けてきた結果なのに、何をいまさら嘆くのだろう。こういう指導してきた大人たちは念願がかなった、理想の青少年に育った、と喜ぶべきだ。

特定の女性に対してだけ欲情しなさい、それ以外の女性を見ても一切欲情するな、不特定の女性を見ても欲情するな、と女性に都合のいい男性の性欲を期待しておいて、いざその通りなったら困ると言われても、本当に困るのは草食男子の方である。こんなことを多感な時期にさんざん浴びせられ続ければ、セックスに無関心になったり嫌悪したり、セックスしなくても平気と言ってしまう精神になるのは当然のことだろう。

コラムニストの北原みのりさん(42)は、20代の男性たちに「性欲はあるのにロリコン化が進んだ。性欲もあり、言いたいことを言う大人の女性と向き合う体力、知性がなくなってしまった」と手厳しい。

これは違う。
「言いたいことを言う大人の女性と向き合う体力、知性がなくなってしまった」のではない。
「女性と向き合っていいかどうかは女性が決める、男性にその権利はない。」「女性に対して能動的に向き合うな」「女性に合わせろ、男性は女性に従え」
と言われてきたからそれに従っただけ。

たまたま今女性は逆の事を言ってるだけ。
「積極的に女性と関われ」「女性に気に入られろ」
という命令を出しているだけ。

男性の性欲という自主性をがんじがらめに縛っていることに変わりはないのだ。
その縛りが男性ホルモンの力を凌駕したのだ。

「人と関わることで人生が楽しくなることや打てば響く会話のおもしろさを幼い頃から教えていかなければ、本当に滅亡してしまう」

ここでも無意識に「打つのは男性」「響くのは女性」だと思ってはいないだろうか。
日本が滅ぶのは男性が消極的なせいであって、女性は何も悪く無いと思ってはいないだろうか。

積極性の根幹たる男性の性欲を女性の都合のいいように使いたい、解釈したいと考え、男性の自主性を奪う行動をした時からすでにおかしくなってきているのだ。
男性に「今すぐ勃起しろ」と叫んだ時だけ勃起することを期待している女性に男性は「面倒、無関心、嫌悪」しているのだ。

雇用特区で生まれる「修羅の国」

雇用特区ブラック企業が生きていけないわけ

http://jyoshige.livedoor.biz/archives/6824578.html
「そうそうたるブラック企業ばかりが集まるブラック特区になるのではないか」

なると思います。

仮に「従業員を過労死寸前まで、それも手当無しでサービス残業させてやろう」
と考えている経営者がいたとする。

こうはならない。
このニュース記事の最大の間違いは、ブラック企業は「従業員を過労死寸前まで、それも手当無しでサービス残業させてやろう」なんて考えていないというところだ。
ブラック企業は「従業員を過労死寸前まで、徹底的に低コストでこき使ってやろう」と考えているのだ。
コストとは給料だけではない。残業代はもちろん、福利厚生や各種保険料なども負担したくない、と考えているのだ。

彼は特区に新しく会社を作り、雇い入れた従業員に
毎晩遅くまで働かそうとするだろうが、従業員のほとんどは一週間持たずに逃げ出す
だろう。なぜなら、特区流動性が高いから。

こうはならないだろう。
特区にあるホワイト企業から従業員が逃げ出すことはないから、必然的に空いている雇用の椅子はブラック企業のみになる。しかも、流動性は高いから一度ブラック企業に就職したが最後、延々とブラック企業を渡り歩くことになる。どこに就職しても満足な職場に出会わないまま従業員はスキルアップすること無く老いていくことになる。
これはブラック企業からすれば願ったりかなったりである。
ブラック企業の本質は如何に低コストで人をこき使うか、という点に尽きる。
転職にかかる様々な費用も従業員持ちだ。1日にも隙間があくことのない転職、引っ越しを伴わない転職がどれほどあるだろうか。
一度ブラック企業に就職してしまうと、満足な賃金が得られないのだから、転職にかかる様々な費用を捻出することすら困難になってくるだろう。それどころか、毎日続く残業や休日出勤で転職活動すらままならない日々が続くのだ。そうすれば特区から逃げ出すことすらできなくなるだろう。そして、ますます「1日も早く再就職したい」「できれば引っ越しをしないで済む範囲で再就職したい」という事になり、これまたブラック企業にとって好ましい現象になる。
つまり、ブラック企業は単体で存在していても迷惑な存在なのだが、集団になると更に厄介になる。賃金や福利厚生などの待遇改善や、職場環境の改善などは企業間で競争原理が働くことで良くなっていくものなのに、それを放棄することを是とするブラック企業ばかりが集まるわけだから、ブラック企業特区は従業員に対する待遇改善競争をしないカルテルを結んで良い特区、ということになる。

「徹夜でもなんでもして朝までにこれだけやっとけよ!」
「……じゃ辞めます」
「えっ」

ブラック企業は「えっ」なんていわない。
ブラック企業の本質は如何に低コストで人をこき使うか、という点に尽きる。
つまり、賃金を安く抑えたまま企業活動を回すことが目的なのだから、「……じゃ辞めます」「どうぞどうぞ」ってなるのは目に見えている。従業員の補充に苦労することはない。なぜなら、就職希望者はいくらでもいるからだ。

会社が本気で従業員を過労死寸前まで働かせたいのなら、相当高い年俸を用意
しないといけない。逆に安月給にしたいなら、とっても楽ちんな作業か、実労働時間を
うんと短くするしかない。これは別に珍しいことではない。
売り手と買い手の双方に選択肢のある普通の市場であれば、ごく当たり前の話である。

この常識が通用しないからブラック企業が生き残るのだ。
はっきり言ってしまえば今の日本は「売り手と買い手の双方に選択肢のある普通の市場」ではない。
金を持ってる企業は強者。金を持っていない労働者は弱者。法律がどう定めようと、これが厳然とした事実である。
弱者たる労働者に選択肢は与えられていないし、ブラック企業は従業員の選択肢をただひたすら削り取る。ブラック企業は従業員の手持ちのお金が干上がってなくなるまでただ待っていればそれでいい。これだけで従業員の選択肢はなくなる。これを特区内のすべての企業が同時にやるわけだから、従業員側に選択肢はないのだ。

「おいお前!クビにしてやるぞ!」
「ああ、そうですか。じゃあ規定通り半年分の基本給を退職金に上乗せして払ってね♪」
「えっ」

ブラック企業は「えっ」なんて言わない。
ブラック企業の本質は如何に低コストで人をこき使うか、という点に尽きるのだから、「会社に迷惑をかけた」とか「退職したことで会社に損害が出た」とかなんとか言いがかりをつけて退職金を出さないはずだ。
下手すると訴訟にまで発展するはずだ。ブラック企業は金の力で押し切ってしまえばいい。従業員に弁護士を立てて争うほどの時間的金銭的ゆとりがあるだろうか。ブラック企業はそうなることがわかっているから、予めその選択肢を削りとっておくのだ。

やがてブラック経営者たちは、特区ではブラックの成り立つ余地が極めて少ないという
事実に気付くはずだ。ブラックとは、“正社員”という曖昧な身分制度に咲くあだ花であり、
契約というガラス張りのようなカルチャーとはきわめて相性が悪いためだ。

ブラック企業特区の居心地の良さに気がつくはずだ。あふれんばかりの求職者がひしめく中で次から次へと従業員を使い捨てできる心地よさを感じ、気がつくはずだ。正社員という身分は経営者のオレ1人だけでいい、と。
ガラス張りの労働契約なんて存在しない。今までどおり曖昧で包括的な契約にしておけばいいし、それを拒否したら雇わなければいいだけなのだから。

そうこうしているうちに、まっとうな商売をしているホワイト企業は、不当に削った人件費の分だけ利益が上がったブラック企業に淘汰されるだろう。
参入障壁がほとんどない、飲食や流通小売業などにブラック企業が多いと言われているのはこのためだ。特区をやるまでもなく、参入障壁の低い、差別化が難しい業界がすでに特区状態になっていると言って良いだろう。

タクシー:減車義務化 運転手労働条件改善へ自公民が法案

http://mainichi.jp/select/news/20130818k0000e010142000c.html
自民、公明、民主3党は、国がタクシーの台数制限を事実上義務づける「タクシーサービス向上法案」で合意した。規制緩和による競争激化で悪化した運転手の労働条件の改善が目的。これまでの事業者による自主的な供給削減(減車や営業時間の制限)では不十分と判断した。秋の臨時国会での成立を目指す。「小泉構造改革」の象徴の一つだったタクシーの規制緩和を抜本的に見直す。

まさにこれがブラック化の最たるものではないだろうか。
参入障壁の低い、差別化が難しい業界を野放しにすれば、強いものだけが生き残る「修羅の国」と同じだ。
特区は「修羅の国」を意図的に作ろうとしているということなのだ。

速ければいいのだ

リニア計画に異論「速さだけが夢なのか」/神奈川

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1309190015/
速ければいいのか−。「夢の超特急」とうたわれるリニア中央新幹線計画に異を唱え続ける人がいる。

結論から言えば「速ければいい」

引き合いに出すのが超音速旅客機コンコルドのたどった末路だ。音速の2倍を誇り、1976年に実用化。だが、燃費が悪く、飛行距離が短い上に料金は4倍、ひどい騒音も快適な空の旅とは程遠かった。2000年、パリ郊外の空港で墜落事故を起こし、終焉を迎えた。

「鉄道などの旅客事業に求められるのは利用者に喜ばれるか否か。さらに投資が回収可能な採算に乗るかどうか。利用者、事業者双方に望ましいプロジェクトならば成功する」

これはごもっとも。
燃費が悪くて距離も短くて料金が4倍じゃ話にならない。
でも、リニアはどうか。燃費は新幹線より悪いだろう。ただ、これが致命的かどうかと言われると、そうでもない気がする。
距離はどうか。当面は東京〜名古屋間ということになるだろうから、十分な距離なのではないだろうか。東京から大阪へ向かう人のかなりの部分がリニアを使うだろう。
料金はどうか。これは未知数。新幹線の2倍を超えたらダメだろう。のぞみの数千円上乗せ程度なら十分戦えるのではないだろうか。

ただ、リニアの売りは速さだけだ。ルートの8割がトンネルで、車窓から富士山の風景も楽しめない。利用者のニーズを理解し、ほかの価値よりも高速性が求められているのだから、リニアを選択したという哲学が感じられない

私はそうは思わない。
のぞみに乗ってみると乗客の多数がビシネスマンであり、外なんか眺めちゃいない。みんな寝てるかスマホいじってるかパソコンいじっているかのどれかである。
リピータになればなるほど外の景色は見慣れた風景になる。
ましてやわずか40分で終点についてしまう速さなのだから「ちょっとそこまで」という感覚で終わってしまうだろう。2時間もかかるから外の景色を眺めないと飽きちゃうのであって、40分なら飽きる前に終点に着くだろう。駅弁が売れなくなると言われているのもこのせいだ。40分で終点に着いちゃうなら、ちょっと我慢してリニアを降りてからごはんを食べるということになるだろう。フライト時間1時間程度の国内線で機内食が出るわけがないのと同じ理屈である。

「本当に素晴らしい技術ならとっくに実用化されている。もうどの国も興味を持っていない」

アメリカは国土が広すぎて速度不足だろうし、都市が遠距離であちこち散らばっているから一本道にはならないだろう。
ドイツは日本と近い国土だと思うが、人口が少ないし距離も短い。ハンブルグ〜ベルリン間なんて、日本で言えば博多(福岡)〜広島みたいなものだろう。そして、ドイツも多極分散型国土である。日本は「国土軸」なんていうぐらいで、直線上にたくさんの都市が連なっている。これほど鉄道向きな国はないだろうし、飛行機を使うにはちょっと狭すぎるのだ。

「移動には目的がある。私には名古屋に急いで行く用事もない」

要はこれ。
自分は東京にいるからこういうことが言えるのだ。
この言い方はかつて「もう高速道路はいらない」と言っていた人と同じ物の見方なのだ。
東京に住む自分たちはもう満たされた。ほっといても向こうから人や物が集まってくる。だから「名古屋に急いで行く用事もない」のだ。そっちになくても名古屋人は東京に急いでいく用事がきっと増えるだろう。

リニアの話が出てきた21世紀の現代でも、1965年の東京オリンピック以前の鉄道網しか生活圏にない人がたくさんいる。新幹線の駅まで1時間以上掛かる人がたくさんいる。そんな人は新幹線の恩恵すらあまり受けていないだろう。

そんな人にこそ「速ければいい」のだ。
もしかすると必要なのは、地方の在来線を置き換える、50人乗り程度で200km/hの速さが出る安価な乗り物なのかもしれない。

攻撃側に打順があるように、守備側に「投順」があれば良い

巨人・川相ヘッド、156センチの花巻東・千葉外野手を絶賛 一方で激辛評価も (1/2ページ)

http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130822/bbl1308220729000-n1.htm
プロ球界では「プロで通用する。いや、むしろプロの方が彼を見習うべき」と絶賛する声の一方で、「邪道すぎる」と一刀両断する向きもある。

「サイン出した」 花巻東・千葉に球審が注意

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130819/bbl13081912230003-n1.htm
鳴門−花巻東の準々決勝で、八回の花巻東の攻撃中に二塁走者の千葉に対し、球審が注意する場面があった。千葉によると、打者に向かってサインを出していると指摘されたそうで、千葉は「よく分からなかった」と話した。

高校野球が終わって、花巻東の千葉選手の「戦法」と大会途中での事実上の「ルール変更」にいろいろな意見が飛び交っている。
おそらく多くの人が話題にしているのが、「サイン盗み」と「カット打法」の賛否についてであろう。

サイン盗みはプロ野球でも禁じられているという。しかし、サイン無しでプレイをするのは現代野球ではありえないでしょうし、サインを出せば目に見える。見えるものを利用しない手はないわけです。情報戦なのですから。と、なれば、他の競技ですでに導入されているような「無線」を使う方法が最も良いのでは良いでしょうか。暗号化技術は進んでいますし、数分〜数時間秘密が守られればいいわけですから、その後に解読されてもほとんど意味が無いでしょう。

誤審に対してビデオ判定が導入されたように、テクノロジーで解決できて、試合する選手も観客も納得できる方法であれば、積極的に導入べきでしょう。

問題はカット打法。
そもそも論から言えば、ファウルなら2ストライクまででアウトにはならないのにバントなら3バントでアウトというルールがおかしい訳で。スイングしたファウルとバント失敗のファウルで何が違うんだという話。遅延行為防止のために3バントでアウトと言うルールを作ったというのならスイングしたファウルでも3ファウルでアウトにすべきだ。初球のファウルと2ストライク後のファウルで扱いが違う理由がわからない。
空振りのストライクとファウルでは価値が違うというのなら、空振りは1ストライク、ファウルは0.5ストライクというような重み付けを変えてもいいだろう。
ピッチャーを疲弊させるから禁止しているというのなら、球数制限をすればいいだろう。
球数制限をすると腕のいいピッチャーの時に無駄球を投げさせるようになり、投手層の厚さで勝負が決まってしまうというのなら、野手全員がピッチャーをやればいい。
攻撃側はバッターが1番から9番まで順番に回ってくるのに、守備側は一人のピッチャーがずっと投げ続けるから、球数制限だとかピッチャーが壊れるとかそういう話になるのだ。
バレーのように守備も順番にローテーションすればいい。1人のバッターに対して一人のピッチャー。次のバッターが出てきたら、ピッチャーはキャッチャーに移動、以下順番にシフトしていき、ライトが次のピッチャーになればいい。投球の負担が1/9になるから、故障もしなくなるだろう。
攻撃側の打順と守備側の投順の組み合わせで試合展開が大きく変わるので、天敵が生まれたり、選手交代のタイミングが重要になったりと、違った味が出てくるのではないだろうか。

つまり、日ハムの大谷のような打って良し投げて良しの選手がエースになるのだ。
投打に優れた花巻東の先輩たる大谷がプロで話題になっているところに、後輩たる千葉の小兵ならではの戦法が野球のルールという根本的なところに問題があることを期せずして浮かび上がらせたのもまた花巻東の力なのかもしれない。

少子化対策をグローバル化してみたらこうなった、という例

美談じゃ済まされない…スケート連盟に抗議殺到「ちゃんと性教育しているのか」との声も

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130706-00000010-tospoweb-spo
 事情に詳しいフィギュア関係者が言う。「ほとんどがお叱りの電話だと聞きました。現役選手が入籍もせずにいきなり出産ですからね。五輪を目指す他の競技ではとてもじゃないけど考えられない。電話の中には『お前ら、ちゃんと性教育やってんのか!』と怒っている人もいて、連盟関係者は困惑しているんですよ」

 確かに、フィギュア界の“生中出し率”は常軌を逸している。まず、2010年に織田信成(26=関大大学院)が学生時代にデキ婚したかと思えば、今年4月には無良崇人(22=中京大)がデキ婚。そして極め付きは安藤の未婚出産&父不明という異常事態…。有名選手たちの“性の乱れ”を危惧して、怒るのも無理はない。

「連盟は性教育をやるところではない。そんなものは家庭でやるべきなんですが…」と同関係者は頭を抱えている。

なんで頭を抱えたり、苦情が来たりするんでしょうかねぇ。やっぱり「結婚もしてないのに子供を産むなんて」って考える人が多いんでしょうかね。

これらトップスケーターたちは、おそらく世界中を飛び回り、世界各地でスケートをして生活をしている人たちでしょう。たまたまスケートという競技をしているだけで、経済界が大好きな「グローバル化」ってやつを体現している社員と変わりはないんじゃないでしょうか。

グローバル化した社会で生活していくには、人並み外れたハングリー精神が必要なんでしょう。それは当然子作りにも反映されるでしょう。
生活の場がグローバル化すれば当然生活観とか道徳観もグローバル化するわけで、結婚観だけ保守的な日本のまま、なんて事にはならないでしょう。むしろ、グローバル化すれば少子化が解決できるという素晴らしい見本じゃないでしょうか。
グローバルに活躍しながら子供を産んで少子化に歯止めをかける。
政府も経済界もこれを望んでいるんでしょ?

つまり、日本の少子化対策が進まないのは、結婚観や子育て観がグローバル化していないから、っていうことでしょう(笑)
結婚や子育てに対して保守的なのは何も日本だけじゃない。ドイツやイタリア、スペイン、韓国あたりもそうだと言われていて、いずれの国も出生率が低く、婚外子も少ない。

でも、日本人はこの状況を望んでいないから、苦情をいう人がたくさんいるわけで。