ぼくのかんがえたさいきょうのろーかるせん

この形でレールの上を走ることができるのなら、車高を乗用車並みに低くすれば、山間のカーブの多いローカル線でも130km/hぐらいの速さで走れるんじゃないのかなぁ。

法律その他諸々の問題をクリアすれば200km/hぐらい…は無理かな。
リムジンみたいにちょっと長い車輌にして20人乗りぐらいにすれば、ローカル線の泣き所である運行頻度の少なさも改善されると思うし。

おまけに車の自動運転技術がもうすぐ実用化できるとなれば、レールの上以外にはみ出ない鉄道だったらもっと安全に運行できるから運転手の人件費も減らせるんじゃないかと。

東京で得られるスキルの価値は年収800万円相当。一方、過疎地で得られるスキルの価値は?

若手医師へき地異動、年収800万増えないと…

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160109-OYT1T50093.html
 東京勤務の若手医師がへき地に異動するなら、年収が800万円近く増えないと満足しない――。

 日本医師会総合政策研究機構の坂口一樹主任研究員と滋賀大の森宏一郎教授が、医学部卒業後10年未満の若手医師1302人を調査し、就職条件の傾向を分析した。医師偏在の解消の参考になると期待される。

 調査は、国公私立の80大学の内科や外科など計1195診療科を対象に実施。年収、所在地、病床数、休日や当直数など8項目の条件が示された架空の求人票を、医師が1人あたり20枚ずつ評価し、就職したいか判断してもらった。

 へき地や離島の勤務は、大都市圏に比べ不人気で、就職先に選ばれる確率は15・1%低かった。現在の勤務地が大都市圏にあるほどこの傾向が強く、へき地の選択確率は東京では23・8%低下し、北海道・東北の低下は6・0%だった。

若手医師が僻地に移動したがらないのは、将来の見通しが立ちにくいということが一番であろう。そして、将来の見通しが立ちにくい理由の一つが、僻地=人口減少であり、患者そのものが減少することであり、もう一つが医師としてのスキルを身につけにくい、最先端の医療に触れにくくなる、ということではなかろうか。
そして、その見通しの立ちにくさというリスクを埋めるだけの費用が年800万円ということなのであろう。

裏を返せば、地方の若手医師は年収800万円ぐらい減っても東京に出たほうがいい、ということになる。
そのぐらい東京という街に住むこと自体に価値があるということなのだ。

若者は地方をめざす 「地方に仕事がない」はウソ?

http://dot.asahi.com/wa/2015102800061.html
「私は、都会でがむしゃらに働いたことで自分のスキルが身についたと思っています。だから、早い段階で田舎に移住することを若い人に勧めたりしたくない。地方で自分らしい働き方がしたいと思っても、現実はとても厳しい。焦らなくても、きちんと能力を身につけてからで遅くないはず」

高知への地方移住に最も成功した部類に入るであろう、この記事に出てくる町田さんですらこう語っている。
「地方に仕事がない、はウソ」なのかもしれないが、都会で身につけたスキルがないと地方では戦えないということなのだ。
裏を返せば、地方で身につくスキルは価値が低い、新しい価値を生み出さないとも言える。

地方創生の切り札は「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」――増田寛也氏インタビュー

http://president.jp/articles/-/16320
よその地域からやってくる人、若い人、そして馬力がある人が、変化を起こしていくんです。

地方に住んでいて、地域おこしに携わった人なら一度は耳にする言葉。
「よそ者」「馬鹿者」「若者」
ソフトに言葉を選んで語っているので気がつかない地方民が多いのだが、要するに「地方民は年寄りのように皆同じ考え方しかできない堅い頭で馬鹿になれないから活性化に使えない」と言っているのだ。
変化についていけない、変化を嫌う地方は生き残れないのは今に始まった話ではない。
よそ者やよその雑多で多様な文化を受け入れ、頭を柔軟にして競争環境でスキルを磨き、それに応えて投資をしてくれる人や支持をしてくれる人がいて、馬鹿になって新しい価値を産む力を発揮できる街、それが東京なのだ。

地方活性化の話になると、ごく少数の成功例がニュースになって全国の僻地を駆け巡る。
僻地に移住して年収1000万円稼ぐことが出来ました!という華々しいニュースが流れても、それに続く人が居ない。それは、僻地は衰退していくもの、今は稼げても将来が不安、という規模的な話を無視することが出来ない上に、一旦僻地に行ってしまうと東京に戻って再び仕事ができるレベルのスキルを身に付けることが出来ないであろうという「スキルの都落ち(大貧民化)」の恐怖に怯えることになるからである。このコストが年収800万円ということである。大学もないような僻地で高度なスキルを身につけようと思ってもそう簡単ではないのは誰しもが感じるところだろう。極端なことを言えば、東京で得られる年収200万円と地方で得られる年収1000万円が同じレベルということなのだ。
数年後、市場そのものが無くなってしまうかもしれない、スキルが通用しなくなってしまうかもしれない、大企業が進出して自分の仕事を奪っていくかもしれない、来年は年収ゼロになるかもしれない、いざというときのアルバイト先も転職先もない、その恐怖に怯えながら僻地で得られる年収1000万に若者は憧れるだろうか。夢を持てるだろうか。
殆どの若者は、過疎化という自分の力だけではどうしようもない問題に立ち向かうより、ワープアでも働いて生きていける東京を目指すだろう。そして、僻地より価値のあるスキルを身に着けていつかはまともな生活を…という夢と「住むだけで年収800万円相当」のスキルを東京で得るのだ。
言い方を変えれば東京には年800万円のベーシックインカムという制度があります、と言われれば大抵の若者は東京を目指すでしょう。
つまり、地方は、過疎地は、これ以上の価値を提供できないと活性化しないということなのだ。

地方化する日本、田舎化する東京

「すごい日本」ブーム…底流には何が?

http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20150325-OYT8T50090.html
番組企画は、中国人の“爆買い”現象をきっかけに生まれた、と村上徹夫プロデューサーは明かす。

これまでは日本人が海外で爆買いすることはあっても買われる側になることはなかった。
そして、東京の経済力を地方に振るうことはあっても東京が経済力を振るわれることはなかった。

日本人はその事実に驚き、外国人が自らの社会や文化に興味を持ってくれたと喜んでいる。そして「日本のどこに魅力があるのか」と確認し、自己を肯定しようとしている。

これまでは日本人が日本のことを褒めようとしても否定された。それは「謙遜」だったかもしれないし「自信のなさ」だったかもしれない。しかし、来日した外国人が日本のことを褒めればそれは無条件で肯定される。日本人はいつだって外圧に弱いのだ。
そして、この感覚は地方(田舎)も同じ。
地方の地元民は、地元のことを東京と比べれば経済力もブランド力も情報発信力もない、遊ぶところも自慢するところも憧れられるところもない、と地元を否定している。それは「謙遜」だったかもしれないし「自信のなさ」だったかもしれない。でも、東京から来た人が地元の田舎を褒めてくれればそれは無条件で肯定される。地方民はいつだって東京の声に弱いのだ。

多くの人は「日本が優れているから、他国の上に立つべきだ」などとは思っておらず、節度がある。

ところが「肯定すること自体が良くない」「常に批判の目を忘れてはならない」と思考停止に陥った上で過剰に卑下する人が少なくない。
この思考停止が長く続いた下向きの圧力に対する反発が「すごい日本」ブームなのではないだろうか。
客観的に良いものは良いと肯定し、悪いものは悪いと否定すればよいのではないだろうか、という考え方ができないか、という感覚なのではないだろうか。
その感覚が地方(田舎)でいうところのいわゆる「ご当地ブーム」であったり「地元愛」であろう。
つまり、裏を返せば、日本が地方化し、日本国内のあらゆるものの頂点であった東京の田舎化なのだ。

月給133万円で雇えば日本人もまじめに皿洗いのバイトをするはずだ

キツイ仕事をしたくないなら、外国人に働きに来てもらった方がいいと思う理由

http://careerconnection.jp/biz/news/content_2292.html
ただの皿洗いに50人来るなんて、今の日本の飲食業界が知ったら、さぞ羨ましい状況でしょう。このような背景がある国から来ているので、私が知る限り、彼らはみんな本当に真面目で仕事に手を抜きません。

確かに日本人アルバイトはまじめに働かないのかもしれない。
しかし、タイトルでは大雑把に「外国人」と言っているが、欧米人が日本に来て「キツイ仕事」をまじめにやるだろうか。まじめにやるのはサブタイトルにある通り「仕事のない国の人」である。

ここではネパール人の例えが出ているのでネパール人の生活を紐解いてみよう。

ネパール|活動報告|世界寺子屋運動|公益社団法人日本ユネスコ協会連盟

http://www.unesco.or.jp/terakoya/result/pj/npl/
ネパール人の平均年収はおよそ3万6千円。

年収が3万6千円だそうだ。為替レートによっても変わってくるだろうけど、ざっくり言えば月収3000円だ。
裏を返せば、ネパール人は母国なら月3000円でそこそこ生活ができるということになる。こんな人達と日本人を同等に扱おうというのだ。日本人が日本で月3000円で暮らせるわけがない。それでいて同じ仕事の成果を求めようというのは無理がある。

ネパール人が今後年老いて年金生活するまで日本で暮らし続けるとでも思っているのだろうか。彼らは日本で10年働いて100万円貯金が貯まったらきっと母国に帰るだろう。100万円あれば母国で約30年は働かなくとも平均的な生活ができるのだ。

ではどうしたら日本人がまじめに皿洗いの仕事をするだろうか。

皿洗いのような仕事は単純肉体労働であり体を壊すリスクが高いだけでなく、これといったスキルも身につかないため将来の賃金アップにもつながらない。つまり、体を壊してしまったら再就職は非常に困難という状況に追い込まれやすい仕事なのだ。そんな仕事を低賃金でまじめに働けといわれても無視する人ばかりになるのは当然のことなのである。
逆に、ネパール人同様、10年働いたら30年は働かなくても平均的な生活ができる賃金がもらえるとしたらどうだろうか。
人によってはハイリスクでも10年なら一生懸命働いて、後の30年はセミリタイヤでのんびりした生活でいいという人が出てくるだろう。
日本人サラリーマンの平均年収はざっと400万円である。10年働いて30年働かなくていい生活を送るには、10年で40年分の収入があればいいということになる。つまり、日本人に皿洗いのバイトを真面目にさせようと思ったら年収1600万円、月給133万円を与えるべきなのだ。

日本は再就職が非常にやりにくい社会であり、転職できても大抵の場合は収入がダウンする。このことを考えても年金がもらえるようになるまでは仕事をし続けない限りまともな生活は出来ないと考えるのは自然なことである。裏を返せば、年金生活に入る前に肉体を壊してしまうような仕事やスキルアップにつながらない仕事というものは、職を失うリスクが高い仕事であるということだ。その高いリスクに見合った賃金ではないからこそなり手がいない、ということなのだ。
高収入の代名詞である医者ですらハイリスクな産婦人科や外科はなり手が少ない。長い人生の途中で職を失う、体を壊す、スキルアップが出来ないということが如何にリスクが高いかということなのだ。

日本人は不真面目、外国人は真面目、というのなら、ネパール人ではなく欧米人を雇ってみてはどうだろうか。日本人が不真面目になったのではないということが分かるはずだ。日本の経済力の強さを笠に着て途上国の人にリスクを負わせるやり方は決して褒められたものではないはずだ。

労働時間無制限一本勝負の成果主義はデスマッチと同じ

「成果給<ダラダラ働く人の残業代」の現実

http://toyokeizai.net/articles/-/45698

給料が上がるいちばんの近道は“成果”を上げること。成果を上げれば、高い『人事評価』を獲得することができるので、翌年の昇給が大きい可能性が大。

これは長期的に見れば嘘。
1年という短期的なスパンで見れば「翌年は昇給」するだろう。しかし、毎年昇給するとは言ってない。毎年成果を上げ続けなければ毎年昇給しない。

ちなみに会社の人事評価とは

S:期待を大幅に超える成果
A:期待を超える成果
B:標準的な成果
C:期待を下回る成果 
D:期待を大幅に下回る成果

などと5段階にわけ、上位のSないしAの評価がついた社員は給料が大きく上がる仕組みになっている会社が多いようです。

これもかなり甘いと言わざるをえない。
現実は、上位のSなら昇給、Aなら現状維持、BCはダウン、Dは2回続いたらリストラ対象、という感じだろう。
なぜなら、

表の意図:頑張った人を報いる
裏の意図:総人件費の抑制

兎にも角にも総人件費を抑制しなければならない。経営側にとっての成果とは「人件費をいかに抑制したか」というところが評価ポイントになるからである。総人件費が減るというのは「市場のパイが小さくなる」のと同じであり、負ける人のほうが多いマイナスサムゲームということである。
極端な言い方をすれば、競馬やパチンコで収入を増やし続けろと言ってるのと同じことだ。勝ち負けが50:50ではない競馬やパチンコは長期的には必ず負けることになっている。

「B評価は全体の30%まで。S評価とD評価を全体で5%以上にすること」

こういう評価を続けると、従業員はどういう行動を取るか考えてみる。
ここで挙げられている評価制度はかなり楽観的な評価制度とは思うが、S評価とD評価を5%、B評価を30%の従業員に割り振ることを条件とした場合、総人件費を下げるという成果も挙げなければならないので、必然的にA評価よりC評価になる従業員を多くしなければならない。
負けがこんでくる従業員の方が多いので給料は下がっていき、辞めていく従業員も出てくるだろうし、D評価にされて首になる従業員も出てくるだろう。
すると、今まではB評価で凌いできた人たちがCやDの評価を受けるようになりまた辞めていくことになる。
辞めていった従業員の分は新卒や中途採用で補ったり、派遣などを使っていくことになるだろう。しかし、このシステムを何年も続けていくと精鋭だけが残るようになるので、新卒や中途で入った人はなかなか高評価を得にくくなるだろう。
残された精鋭たちというのは、理念集に「24時間365日死ぬまで働け」と載せることに何の疑問も感じなかったり、「自分も月500時間働いてきた」と何の疑いもなく自慢してしまうような人たちのことだ。こういった精鋭たちの下で働いていた人たちがどうなったかは言うまでもないだろう。
逆に、こんな勝ち残り戦を強いられるような会社には居たくない、と優秀な従業員が自主的にどんどん辞めていく可能性もある。そうなった場合、残されたボンクラ従業員ですらS評価をつけることになりかねない。
結果として、総人件費のパイを小さくした分だけ、人材のパイも小さくなる。経営側だけおいしいところを持っていけるわけではないのだ。

景気が回復して全体的に残業時間が増えてくると、会社は一般社員に対して残業を容認するようになり

「残業して稼ぐのがいちばん近道。だから残業は積極的に」

という社員が出てきたりします。そんなタイミングに成果を出しており、残業が少ない社員をどのように評価するか? 会社にとっては大きな問題ではないでしょうか。

従業員が「稼ぎが減ったから残業代で穴埋めしよう」と考えるのと「残業は人件費増大の元」と考える経営側は基本的に同レベルと考えていいだろう。
制限時間無制限一本勝負で勝つまで働け、負けた方は死あるのみ、という発想を捨てない限り、成果主義と残業代の矛盾は解決しない。もう一つ言えば、成果というものを「短時間で成果を出しました」という相対的な時間軸で評価している限り、残業代を減らすことはできないということだ。
「予定の時間内に成果を出しました」でよしとする絶対的な時間軸で評価をしないと、どうせいつかは負ける日が来る、だったら勝ちはなくても負けないようにしよう、と思ってしまうだろう。
営業のノルマ主義はまさにこの典型例だ。ノルマは下方硬直性が強いのでいつかは負ける日が来る。勝ち負けの評価が50:50ではないので、従業員は勝つことより負けないことを優先してしまうのは当然の結果である。

・残業している姿を称えない風土を醸成する
・社員別残業時間を管理職同士で共有する
・残業時間と業績を連動した人事評価を行う

こんな面倒くさい、成果が上がるかどうかわからない努力をしてどうするのか。
答えは一つ。
制限時間無制限一本勝負をやめて、制限時間を設けること。時間切れで成果が出なかった場合は、計画が甘かった経営側の責任ということにすればいいのだ。
1日8時間、1週40時間という制限時間の中で成果主義を取り入れれば、残業の心配がないから人件費が予想以上に膨れることもないし、制限時間内で大きな成果を出した人から順番に高い評価をすればいい。
ワークライフバランスやら子育てやら少子化やら介護やら、これからますます現役世代は仕事以外の時間が必要になる。そういった社会情勢を踏まえて働く環境を作っていかないと、成果主義という競争環境の維持すら困難になるだろう。

若い女性は田舎で生贄を育てて東京様に差し出せ→若い女性「私も生贄がほしいから東京に行く」

「極点社会」人口減少の現実

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0502.html
全体の5割に上る896の市町村で、子どもを産む中心的な世代である20代から30代の若年女性の数が、2040年には半分以下になるというのです。
(中略)
都道府県別にみると、北海道・青森・岩手・秋田・山形・和歌山・島根・徳島・鹿児島などで、若年女性の数が半分以下になる市町村の割合が高く、最も高い秋田県は、25ある市町村のうち24に上っています。

「若い女性」と「子供を産む」を結びつけるのはそれほど不自然なことではない。
しかし、「若い女性」と「都道府県」をなぜ結びつけるのか。
確かに地方で若い女性が減ることは事実であろう。しかし、海外に移住でもしない限り、日本国内における若い女性の総人口は変わらないはずだ。どこに住んでいても子供を産むことは可能なはずである。ところが…

若年女性が向かう東京は、全国で最も子どもを産み育てにくい都市です。

まずここを何とかしろ、と言いたい。
大都市・東京様たるもの、子供を産み育てにくくて当然である。東京様はお金を稼ぐための仕事で忙しいのだ、子育てや介護なぞしている暇はない、とでも言いたげな姿勢である。
この姿勢は裏を返すと、子供を産み育てるのは地方の役目である、と暗に言っているのだ。
事実、老人を都内から北関東などの近県に移して介護するというケースが散見される。コストが安いから、というのがその理由らしいが地方に対して失礼千万である。賃金格差を利用して地方を奴隷扱いしたいという願望が現れている。

婚率は全国で最も高く、出生率は全国で最も低くなっています。
その背景には、借家の平均家賃が全国で最も高いことや、保育所の待機児童の数が最も多いことなどがあります。

果たしして原因はそれだけであろうか。むしろ家賃や保育所は結果論ではないだろうか。

私たちは、多くの地方で、若年女性の雇用の大きな受け皿になっている、医療・介護分野の事業者の動向に注目しました。

根本的な原因はここにあるのではないだろうか。
地方で若い女性が働く場といえば医療介護の分野。
しかし、医療介護の分野は全国的に人手不足である。医療介護の人材が足りなくなった現場ではますます過酷な労働を強いられるようになり、退職者がますます増えるという悪循環に陥る。つまるところ、絶対的な数が必要なのだ。数が必要ということになれば、自ずと大都市が有利になる。かくして、医療介護の人材は大都市へと移動することが容易に予想できるのである。

首都圏だけでは、十分な人材の確保が難しくなりつつあるとして、地元を中心に地方のリクルート活動に力を入れ始めていました。
健祥会」は、今年度に入って、人材確保のために新たな部署を立ち上げ、全国各地を回って人材を集める準備を進めています。

予想通りである。賃金の高さや人材の豊富さ、職場環境の良さは大雑把に言って人口に比例する。人材獲得合戦において地方は大都市に勝てないのである。

そもそも、若い女性みんなが医療介護職に就きたいわけではない。他の仕事をしたい人だってたくさんいるはずである。ところが、それが地方で可能なのであろうか、という疑問がわく。往々にして、地方での仕事は農林水産業のような一次産業、もしくは工場のような二次産業が主体であり、女性が就きたいと思うような三次産業の仕事が圧倒的に少ないのである。
それ故、

私たちは、多くの地方で、若年女性の雇用の大きな受け皿になっている、医療・介護分野の事業者の動向に注目しました。

こういうことになるのだ。
これでまず、医療介護以外の仕事をしたい若い女性はみんな大都市に出てくることになるのだ。果たしてこの流れを止められるだろうか。この流れを止めるということはすなわち「若い女性は田舎で医療福祉でもやってろ」ということに等しい。

かつて男女の性別役割分担を強いるのはよくない、ということで男女平等を唱えるようになった。
今度は性別に加え、大都市と地方という「地域別役割分担」を強いるようになってきた、ということなのだ。

「女性というだけでやりたい仕事もできない」というと「それはおかしい」とすぐにピンとくるのに、「地方に住んでいるというだけでやりたい仕事もできない」というのは正しいことなのだろうか。大都市に引っ越せばできる、というのならまだいいだろう。しかし、番組では最後にこう結んでいる。

人口移動の流れを変えるには、さまざまな分野にわたる対策が必要です。

「人口移動の流れを変える」と言ってるが、もっとはっきり言えば、若い女性を田舎に縛っておくにはどうしたらいいか、と言ってるのだ。
これはどういうことか。

若年女性が向かう東京は、全国で最も子どもを産み育てにくい都市です。

東京は子供を産み育てにくい。これは既定路線であり、変更する議論の余地はない。だから若い女性には、東京に出てこないで地方で子供を産み育てて欲しい、と言っているのだ。
これが冒頭で疑問を感じた、「若い女性」と「都道府県」をなぜ結びつけるのか、という疑問に対する答えである。
東京に住んでるオヤジ達のために、若い女性は地方に住んで子供を育てて、医療福祉職で働き、面倒を見て欲しいって言ってるのだ。なんと図々しい態度だろうか。

若い女性は地方に住んでいたらそういう目に合わされるとすでに見切っている。だからこそババを引かされないように、いち早く大都市に避難してくるのだ。地方に縛られて子育て要員や介護要員にされたんじゃたまったもんじゃない、自分には自分の人生がある、と思っているのだ。

「やりがい」「人生の質」は人それぞれである。しかし、金銭や時間、肉体的な負担は共通である。子育ては金銭的にもきつくなるし、時間も体力も奪われる。また介護職の人が安すぎる賃金と先の見えない介護にやる気を失っている、というニュースは枚挙に暇がない。これを地方に押し付けようとしているのだ。
究極的には「子育ては儲かるか」という話になるのだが、儲からないから東京様は子供を作らないし、東京様は保育所を作りたがらない。子供を作れば作るほど儲かるというのならみんなこぞって子供を作るはずである。子供一人育てるのに、20年の時間と体力、3000万円とも言われるお金が必要なのだ。実はここを地方が担っているのだが、この番組はあくまで大都市・東京様の上から目線。

いずれは大都市圏も、地方から来る若者が減って高齢者ばかりになる

大都市・東京様が高齢者ばかりになって今までの勝ちパターンが維持できなくなる、地方と若い女性はいますぐ何とかしろ、もっと若者を生贄に差し出せ、と東京様はおっしゃっているのだ。
しかし、もう若い女性は東京様の言うことを聞かなくなってしまった。それどころか、自分も生贄を受け取る東京様の仲間に入れてほしいと殺到しているのだ。
こういう流れになるのは当然の結果である。若い女性だって勝ち組に入りたい。その前提条件が「東京に住む」ということに変わってきたのだから。

東京未婚者取引所を開設しませんか

婚活業界の”不都合な真実”なぜ婚活の成功率はこんなに低いのか

http://toyokeizai.net/articles/-/28007?page=3
とはいえ、成婚率10%はあまりに低調すぎます。その原因は何でしょうか。私は、「恋愛感情を醸成する仕掛けがない」ことに尽きると思います。現代ニッポンにおいては恋愛結婚が主流です。相手を好きになって結婚するのです。

そうした中、結婚相談所のスキームの根幹はプロフィールデータの交換です。データは無味乾燥な属性情報の羅列と若干のPR文。そこから、読み取れるのは人となりのごくわずか。また、お見合いが成立しても定番の「指定されたホテルのロビーで会話。時間厳守(60分)。連絡先の交換は厳禁」。

これで相手を好きになれって言われてもねぇ……、大半の人にとっては難しいでしょう。現行のスキームを抜本的に変えないかぎり、成婚率が増大することはないし、料金の訴求力も低空飛行を続けるのは必至の情勢だと思います。

じゃあ、現行のスキームを抜本的に変えたお見合いサービスにすればいいんじゃね?
恋愛結婚じゃなければ結婚じゃない、お見合い結婚なんて戦前の負の遺産、とばかりにカリカリしてもしょうがない。成婚率が上がらないのは、恋愛に決定的に向いていない人がそれだけ多いという表れであろう。恋愛は下手くそでも家庭生活を営むのは上手な人は少なくないと思われる。いや、むしろ恋愛ベタな人のほうが誠実に家庭生活を営んでいけるのではないだろうか。もっとも、女性の場合、一度は恋愛というものをしてみたい、なんて思う人は少なくないだろう。が、しかしだ。結婚相談所を使用する時点でこのへんは諦めたほうがいいんじゃないだろうか。

そして、この結婚相談所のシステム。プロフデータを見て恋に落ちろというのはなかなか難しい。生身の人間を見てダメだった人がデータで恋に落ちるだろうか。たぶん無理だろう。

と、いうことは、恋愛感情を挟まず、「新規家庭生活開始のためのパートナー募集のお知らせ」という形で結婚相手を募ったらどうだろうか。
仕事仲間を探すのだって誰でもいいというわけではなく、必要なスキルや資金、やる気や誠意など、それぞれ独自の価値観があるだろうから、その流れで結婚相手を探すサービスを作ってみてはどうだろうか。

結婚相談所の会員のほうが一般の未婚者に比べて、「年齢」「年収」「学歴」など相手に求める条件がはるかにキツくなるという実態が明らかになりました。

どうせこういう無茶な条件を並べて「いい人がいない」と嘆く人(多くは女性の方ではないかと思うが)が多いのだから、恋愛なんて言うオブラートなんかに包むのはやめて、正々堂々と必要条件を提示してはどうだろうか。
さらに「年齢」「年収」「学歴」の平均値や中央値をホームページ上でリアルタイムに表示すれば「相場」や「気配」というものが分かり、無茶ぶりをする人は少なくなるだろう。
いっその事、株の売買のように取引が成立したカップルに「お見合い権」を付与すればいいだろう。売買成立という「出来高」こそがこの新しいスキームでの結婚相談所の価値を示すとすれば、そのほうが健全ではないだろうか。結婚相談所は出来高に応じて手数料を貰えばよい。

私は、冒頭の“婚活中の草食系男子(推定年齢35)”に対して、結婚相談所の成婚率を告げると共に、次のアドバイスをするでしょう。「もし、相手に対する条件を上げるなら、自分自身の魅力も上げるべきだよ」と。

「相手に対する条件を上げるなら、自分自身の魅力も上げるべき」ともっともらしいことを書いているわけですが、これが正しいのなら、女子力をギンギンに磨きまくっている女性は早々に売れているはずです。

ここで間違えやすいのは「相手」は不特定多数なのに対して、上げる魅力は「自分自身」ということ。
つまり、自分は売り手である、という発想から抜け出さないと、自分を高く売りたいだけという話になってしまい、取引が成立しない。
草食系男子に必要なのは、買い手に回ること。好みの女性が買えるような力を身につける方が大事なのでは?