JVA、地デジの「コピー9回」提言に強く反対−「映像パッケージ産業の破壊につながる」

http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20070920/jva.htm

 第1には、「映画やドラマといった、DVDなどのパッケージ商品や有料ダウンロードで製作資金の回収を図るコンテンツにおいてビジネスモデルが破壊される」というもので、「コピーが友人・知人等に配布される事態が生じると、特にレンタルや有料ダウンロードなどに深刻な影響が生じる。審議会は、劇場用映画のビジネスモデルについて検討しているが、アニメ製作等について検討された形跡が見られない」と批判している。

この話題は散々語りつくされているけど、ビデオテープしかなかった頃はどうだったんだ、と。
「コピーが友人・知人等に配布される事態が生じると」っていうけど、そんなのビデオテープの時代から貸し借りなんてやってたし、レンタルビデオ屋だってちゃんと営業していた。むしろ考えるべきは既存の「DVDなどのパッケージ商品や有料ダウンロードで製作資金の回収を図る」ビジネスモデル。副業で稼がないとやっていけないビジネスモデルなんて破綻して当然。

 第2は、「コンテンツによってコピー制御の方法を使い分ける技術的可能性を追求すべき」という意見で、「著作権者がコピー制御を緩和してよい番組については反対しないが、それ以外のものには現状のコピーワンスを維持するというように使い分けできれば、調和の取れた解決が可能。中間答申でもその検討が行なわれた形跡は見受けられない」としている。

権利者が制御方法を使い分けなんかするわけがない。
視聴者は「2度と見れない」「2度見るのにコストが掛かりすぎる」から映像を保存したいのであって、「見せる権利」「視聴する権利」そのもののコントロールをしようとしているこのルールは視聴者の希望を逆なでする以外の何者でもない。某所で言われている言葉を借りれば、「そんなに見せたくないんなら放送するな」ということが正論にも聞こえてくる。
そして曲者なのが、著作者と著作権者が分離していることが多々あるということ。視聴者は著作者の労苦に報いたいのに、報いは著作権者に流れてしまっている。そのためか、この話に強硬に反対するのは著作権者であることが多く、著作者は「まず見て(聞いて)もらいたい」という意見が多い。
コピーコントロールCDの時も物議になったが、著作権者がコピー制御、すなわち「見せる権利」を主張するのなら、視聴者の見たいという要求に対して「見せる義務」を限界まで負わなければ不公平である。
そして、デジタル化した現在、コンテンツは劣化しなくなった。すなわち著作権者は「見せる義務」を無限に負わなければならないのである。