誰のための「ゆとり教育」であったのか

http://news.livedoor.com/article/detail/3314891/

9月18日、経済協力開発機構(OECD)は「図表で見る教育」2007年版を発表した。それによると、日本は小学校1クラスあたりの生徒数は日本が28.4人でOECD平均の21人強を上回っている。

 また教員1人当たりの年間授業時間は日本の小学校が578時間で、OECD平均の803時間を大きく下回り、これは調査対象の中で最短であり、授業時間の短さは中学や高校でも突出している(日本経済新聞9/19の記事から要約)。

 驚いたのは教員1人当たりの年間授業時間の短さである。米国は1000時間を超えているので、日本はその6割以下となる。数値の上では、日本の教員がOECD並みに授業をすれば教員を増やすことなく1クラスあたりの生徒数をOECD以下にできる計算だ。教育の生産性格差が大きく開いていることを示している。

 その一方で、教職員組合などから、教員の過密労働や残業の多さが日常的に問題視されている。つまり、教員一人当たりの授業時間は他国に比べてかなり少ないのに、過密労働であるとは、どう理解すればよいのだろうか。

この問いかけは至極当然。

 日教組から分離した全日本教職員組合(*2)では「小中学校教諭全体の33%超が1カ月45時間を超える残業をしています。厚生労働省では、残業が1カ月45時間を超えることを「過労死危険性ライン」としていますから、3分の1強の教職員が恒常的に「過労死危険性ライン」にあるといえます」であるとして、「小学校で7万4148人、中学校で10万629人、合計で17万4777人の教職員定数増が必要」だとしている。

 夏休みもままならない民間の勤務実態から考えるとずいぶん浮世離れした主張に見える。この教職員定数増が実現すると教員1人当たり授業時間はさらに大きく減少、すなわち生産性の低下が起きる。ここには生産性への配慮が全く見られないが、このような組合の姿勢は一貫して続いてきたものだろうか。現在の生産性の低さは「ゆとり教育」を含めた組合の運動の結果を反映したものなのだろうか。

こうなるとどうしても「ゆとり教育」が目的じゃなくて「ゆとり勤務」が目的だったようにしか見えないわけで。
日教組全日本教職員組合の違いは良く分からないが、共産主義的な発想が見え隠れするのが教員たち、というイメージが私にはある。
ひところの「運動会はみんなで手をつないで一緒にゴールイン」っていうのは最近なくなったようだが、根本的に「生徒たちはみんな同じ能力、学力。差なんてない」っていう不思議な思想がこびりついているように見える。