患者の皆さん、あきらめてください

http://blog.m3.com/Visa/20071227/1

95歳で死にゆこうとする老人に輸血を行うことに何の意味があるのだろう。昨日の血液が、未来のある若い患者のもとに行き渡ったら、助かる命があったかもしれない。

私は輸血製剤のオーダーを取り消した。そして、家族にそれを話した。

娘は泣き崩れた。

「お願いです。できるだけのことをしてください!」

95歳、認知症で施設に入っていた患者である。もう寿命とは思えないのだろうか。

できるだけの看護をしてくださいというのなら分かる。しかし、できるだけの治療をしなければならないのだろうか。

不足している医療資源を奪ってまで、95歳の老人の命を数日長引かせることに何の意味があるのだろう。

しかし、その家族は自分の親の命を1日でも長引かせることで頭がいっぱいのようだった。

このご家族が特殊なわけではない。

死を受け入れることができない人が増えている。

「老いたら死ぬ」そんなことがこの国では当たり前のことではなくなっている。

厳しい現実たけど、昔の人は「我が子の為に」と自らを犠牲にしたものだ。
戦前の世代は食べ物に困っても我が子を優先して育てたときく。
今はどうだ。
未来と若者を食い物にする年寄り、という図式がじわじわ出来上がりつつある。
お年寄りは早く死ね、という事ではない。
投資は我が子へ、我が孫へ。未来のために。