アノ裸祭り、露出狂&ホモ押しかけ…胸毛男が心境激白 蘇民祭ポスターJR掲示拒否

http://www.zakzak.co.jp/top/2008_01/t2008010910_all.html

 「一人がイヤだと思えばセクハラになってしまう世の中ですから、仕方がないんですかね」

 モデルとなった奥州市に住む会社員、佐藤真治さん(38)はそう話す。

このポスターを見て不快に思うかもしれない。その気持ちは分かる。
しかし「セクハラ」という言葉を使ってはいけないとも思う。

もともと「セクハラ」というものに定義がなく、専ら「女性が不快だと感じればそれがセクハラ」というような「私が法律」「私がルール」的運用、解釈があまりにも多い。

人間の肉体を評価してはいけないとも思わない。
美しいものは美しい、醜いものは醜い。それで良いと思う。
お祭りという崇高なものだから許されるとか、公共の場にポスターという形で出す以上不快感を与えてはいけない、という論点で語るものとは違うと思う。

これが人間の肉体である、という事を受け入れなければならない。

佐藤さんのベストショットを激写した佐々木さんは「『蘇民祭』の最大の魅力は何と言っても裸。男の裸なしでは、何も表現できませんよ。来年以降も、これまで通りに作ります」。黒石寺住職、藤波洋香氏(54)も「別にJRの駅に張ってもらわなくても困りません。あれをセクハラだと思うような女性がいたとしたら、相手にする必要もないです。地元では誰もそんなことは思いません」と話している。

写真を撮った佐々木さんはその辺を当然分かっているんだと思う。
人工的なものに囲まれて生きていると、人間の持つ肉体、生きる力、生命力といった「本能的」な部分に嫌悪感を感じ、「セクハラ」と呼んでしまうのであろう。
水洗トイレの普及で自らの糞尿すら目にする事が無くなり、家畜を殺して肉に裁く姿も見なくなった。
それどころか、転んでひざをすりむいて血が出る、なんていう事もすら少なくなった。
生きるってそんなに綺麗な事ばかりじゃない。