「売られすぎ」は買う理由でなくなった(08/1/21)

http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/article.aspx?site=MARKET&genre=q8&id=MMMAq8000021012008

今や東証1部銘柄のうち約半分が株価純資産倍率(PBR)1倍以下、20%の銘柄が株価収益率(PER)10倍を割るという、ここ何年もお目にかかったことのないレベルにまで株価は下落している。数多くのテクニカル指標でもことごとく「買い」のサインが出ているが、米国の株価下落により全面安の展開が続き下げ止まらない。いくら株価が過去との比較で「割安」になったり、「売られすぎ」たりしても、買い意欲のある投資家が存在しない限り需給関係で株価は下がっていく。

「買う意欲が沸かない」事を政府のせいにする論調ばかりになっているが、私にはそれだけには見えない。
「企業業績は良い」というがどうだろうか。これもまた、大手はいいが中小は悪い、というお約束の話だけとは思わない。
バブル崩壊」から「失われた10年」そして、いまのこのモヤモヤ感。
バブル崩壊前の好景気の頃から感じていた事なのだが、日本はバブルの頃に儲けすぎた。いや、それ自体は悪い事ではない。このときの稼ぎ方が、モノやサービスの価値向上がもたらした経済成長ではなく、未来の収入を先食いした見かけ上のものだったという事を思い出した。
いまの企業業績のよさは、中小企業や一般家庭などから寄せてあげて、さらにパッドでかさ上げした「ヌーブラ」による見せ掛けの好景気。決して体力が付いたわけでもなければ若々しい体に甦ったわけでもない。ダイエットして体重が軽くなったものの、バストが豊かになったわけじゃない。むしろ魅力的な体じゃなくなったし、歳もとってしまった、という事。
そういう意味では「景気のよさの見せ方」がバブルの頃の「ボディコン」から「ヌーブラ」に変わっただけ。本質はなにも変わっていない。
あっと驚く製品や商品、サービスが出たわけでもなく、大企業がただひたすら人件費を搾り、予想される範囲内のレールの上を走っているだけ。薄型テレビも次世代DVDも予想の範囲内。
いまの日本にはいいほうのサプライズを予感できないのだ。つまり変わりたくない。
大企業がずっと大企業で居る世の中である限り、日本にサプライズは起きない。変わりたくない。
中小企業のアイデアを尊重せず、同様のサービスや製品を防衛的な意味で各社横並びでいちいち準備する。変わりたくない。
こんなサービスが欲しい、と思ったときに、消費者より既存の勢力を向いてしまう。変わりたくない。
こんな空気を外国人投資家は読んでいるのではないだろうか。
つまり、空気読めないのは政治家だけではない。一般の民間企業も読めない…いや、読みたくないのだ。失敗を許さない日本。空気を読んで尚、失敗したときのリスクを許容できない。そんなリスク許容度のない日本に投資は出来ない。ノーリスクはノーリターンだから。でも、いまの日本はノーリターンでもいいからノーリスクでいたい、と思っている。明日の10円より今の1円。1円を笑うものは1円に泣く。もったいない精神なのだ。

そうなれば「貯蓄から投資へ」の流れも絶たれ、資金運用そのものがシュリンクしてしまうことになる。政府はその点をもっと意識すべきなのではないか。

資産運用についても同様、変わりたくない。
株価が1年で2倍に上昇するよりも、銀行の利息が5%上がった方が日本の庶民は活気付く。
庶民は家を買うとき以外はまずお金なんて借りないからだ。
株なんて金持ち優先の世界だし、情報弱者の庶民が"勝てる"見込みは少ないのは、たびたび起こるインサイダー取引のニュースが証明している。