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遅れているにも程がある

かんぽの宿」騒動で分かった! 賛否両論なき日本のネットはゴミの山

http://diamond.jp/series/kishi/10027/
 その一方で、マスメディアから逃げ出した広告費が流入してネットは隆盛を極めています。その中で、マスメディアはネットを積極的に取り込み、草の根のシチズン・ジャーナリズムが勃興し、今やネットがジャーナリズムの担い手になるかのような勢いです。では、それは良いことなのでしょうか。

まず「ネットはゴミの山」なんていう考え方は10年近く前からすでに言われていた話。なにをいまさら。マスメディアに生きるひとはインターネットを何か勘違いしている節が往々にしてある。インターネットは新聞やテレビやラジオのような「一部の人が情報を媒介し、多数の人は受け取るだけ」のメディアではない、ということが分かっていないし、インターネットもそうあるべき、と思い込んでいがそうではない。
むしろ、インターネットは「巨大な井戸端」に過ぎないのだ。世の奥様がスーパーや公園で立ち話していたり、世のサラリーマンが赤提灯でくだを巻いていたり、子供が学校の休み時間におしゃべりしているようなものの延長線上にあるのだ。もちろん、場合によっては政治家が辻演説をしているかもしれないし、学者が高尚な学術の話をしているかもしれない。日々の雑多なおしゃべりが世界レベルで広がっただけ、と考えられないのだろうか。
日々のおしゃべりがすべて有意義で、社会的で、正論で、愚痴も余談もないとでも思っているのだろうか。無駄話の一つや二つ、普通に会話しているのが当たり前。それがインターネットにもあふれるのは当然の結果だろう。
猛烈にたくさんの人の会話を見聞きできるのがネットのいいところだ。100人でも200人でも会話できる。しかも、記録が残っているからあとから追いかけることもできる。ありとあらゆる考えを持つ人が意見をぶつけ合い、アイデアを出し合い、アイデアそのものがブラッシュアップされていくのと同時に、ものの考え方自体が伝播していく。インターネットで会話に参加している人同士が影響しあう。リアルな世界ならせいぜい10人レベルでの相互干渉だろう。それがネットなら100人単位での伝播も可能だ。そして、そのゴミの山から宝石が紡ぎ出されていくのだ。マスコミの流す情報はすべて洗練されていて、すべてが宝石だ、という前提でモノを語ってはいけないだろう。マスコミが流す情報が実はよくできた偽者の宝石であることすら想定して議論ができる。

 民主主義が貫徹されるためには、どんな事象についても賛否両論が健全に展開されるべきです。そのためには、トーマス・ジェファーソンの言葉からも明らかなようにジャーナリズムが重要な役割を果たすのです。ところが、“かんぽの宿”から明らかになったのは、日本のネット上は同じような一面的な評論とその安直な引用ばかり、情報のゴミ溜めとなっており、今のままではマスメディアに代わってジャーナリズムを支え、民主主義を強化する器にはなり得ないということです。スキャンダルやゴシップの集積場でしかないのです。

賢い人だけが議論し物事を決めればいい、というのは民主主義とは言わない。
「日本のネット上は同じような一面的な評論とその安直な引用ばかり」というのなら、逐一反論すればいいのだ。その議論の過程が大事なのだ。お前らバカだから分からないだろうけどな、とか、説明するとめんどくさいから端折るよ、と民衆を捨ててしまっているのがこれまでの民主主義。
でも、インターネットは違う。社会的立場や人種、性別などありとあらゆる属性を捨てて、純粋に論評のみを議論の対象とできるところがインターネットのいいところであり、真の民主主義なのだ。一面的な論評に固まりやすいいまの日本のマスコミにインターネットの論評を語る資格はない。

といっても、マスメディアの人たちには理解できまい。日本に国会議員が100万人いるようなもの、とでも言えばその雰囲気が分かってもらえるだろうか。

 いずれにしても、経済危機が深まるにつれ、世界的にマスメディアの苦境は更に厳しいものとなっています。そうした中、世界的にマスメディア、特にローカルメディアの再生に向けた新たな取り組みが徐々に出始めています。

この人が恐れているのは、何のことはない、世界中で既存マスコミののビジネスモデルが崩壊して自分の食い扶持がなくなりそうで怖い、ということだけだろう。
情報の伝達(メディア)と論評(ジャーナリスト)に分かれていけばいいだけの話だ。「マスコミ」という概念は変わっていくだろう。
ジャーナリズムはインターネットが受け持つ。これまでのように一部の人間だけが論評する能力をもつ時代とは違う。いまはインターネットによって考え方そのものが伝播している。知の集積を得意とするインターネットに特定の人だけが行うジャーナリズムは勝てないだろう。しかし、情報の伝達、すなわち「最初の第一報」という事実の伝達はインターネットは苦手だ。既存のマスコミは情報の伝達をメインにやればいいのだ。