パンドラの箱の中身

希望を捨てる勇気

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f12938eaad206d10b7629456f0a051e
「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。

若者が感づいているのは「長期停滞ではない、長期衰退だ」と言うことではないのだろうか。
だから、今が一番いい。現状維持ができれば万々歳。

不安のループ - 池田信夫

http://agora-web.jp/archives/586558.html
だから世の中でよくいわれる「労働者は流動化を望んでいない」とか「不況のときは起業が減る」というのは事実認識としては正しいのですが、それは現状が望ましいということを意味しません。特に今のように大きな需要ショックによって要素価格が変化しているときは、悪い均衡に固執すると労働需給のゆがみが大きくなって、失業率が高まるリスクが大きい。

だから、氏が言うように「労働者は流動化を望んでいない」のだ。失業率が高まるかどうかなんてどうでもいい。自分が食べていければいいのだ。

昔はそうは考えなかった。
「明日は今日よりよくなる」という希望があったから、努力をし、時を待ち、機会をうかがうことができた。
企業が苦境に陥れば社員が一丸となって難局に立ち向かい、利益がでれば社員に報いた。
無限に続く長期繁栄が前提だったからだ。

しかし、今は違う。
時間的な部分最適のみの追求が企業を支配する時代。目先の2,3年さえよければそれでよくなった。後は野となれ山となれ。
企業に利益があっても還元をせず、派遣社員をはじめ、従業員はあっさりと首を切られるようになった。
労働者は会社のことなんか考えなくなり、自分が生きていくことのみを考えるようになるのは当然の結果。
失業率がどんなに高かろうと、食べていける人にとってはどうでもいい話なのだ。

政府は規制改革を行ない、人々が安心して転職できる厚みのある労働市場と、起業しやすい資本市場を整備する必要があります。

にもかかわらず「人々が安心して転職できる厚みのある労働市場」を整備しろとは笑い話以外の何者でもない。

転職をすれば大多数の人は給料が下がることは誰しもが知っている。
そしてもうひとつ。中小企業や小売の世界では転職は当たり前のように行われているが、この手の業界で高給取りな人はほとんど見かけない。
むしろ、キャリアが積み重なってくると給料が上がる前に退職させられることもよく聞く話である。

そして、全体をつなげると「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気を持て、というだけでなく「経済全体のために個人はすすんで今の良い生活を捨てろ」「より希望のない世界に進んで飛び込め」「でもそれに対する報いはない」ということなのだ。
そこまで企業経済のためにしなければならないのか?
話が一方的過ぎるのだ。
日本経済のため、個人は今の生活を捨ててください、もっと貧乏暮らしをしてください、じゃないと経済はよくなりません、といいたいのだろうが、経済が良くなっても生活は良くならないことが「平成の好景気」と呼ばれる時代で学んでしまった。この話は理屈では正しいのだろうが、誰ものってはこないだろう。
企業はこれまでどおり「お金」を重視します。ですから、労働者は「やりがい」「社会貢献」といったお金以外のほうを重視してくださいね、と暗に言ってる。
戦時中の「欲しがりません勝つまでは」のスローガン以下なのだ。

希望について

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/706ab37b90a9298056c88e3269435b91
この閉塞状況に対するもう一つの答は、安冨歩氏もいうように、選択の自由なんて幻想だと悟り、希望を捨てることかもしれない。この「東洋的な道」の先に何があるのかは、正直いってよくわからないが・・・

選択の自由は幻想だ、と言うのなら、転職の自由も職業選択の自由も幻想なのだ。
なのに労働市場だけは流動化させようとする。

今この手の経済に詳しい人が唱える話は「欲しがりません勝ったとしても」という戦争スローガン以下の話にしか聞こえない。
どうせ戦争スローガン的なものをぶち上げるなら「贅沢は敵だ」とか「胸に愛国、手に国債」のほうがまだマシに見えるのだが、いまは「定額給付金をパーッと使いましょう」なんて言ってる状態。お金の向かう先が国か企業かという違いはあるが、金を出せ、といってる状態は変わらない。だったら、せめてその報いを明確に示して欲しいものだが「希望は捨てろ」といってるのだから、パンドラの箱には何も残ってはいないのではないか…

パンドラの箱の謎

http://harmonyatsugi.hp.infoseek.co.jp/kyusoku/pandora.html
この壺の中には、この世のありとあらゆる災難・苦悩が入っていました。
ゼウスは、自らではなく、人間のパンドラによって災難・苦痛をもたらす事を考えついたのです。
パンドラは、好奇心に負けて箱を開けてしまい、一瞬にしてありとあらゆる災難・苦悩が、世界に広がっていったのです。
慌てて蓋を閉めますが、壺の中に残ったのは「未来を全て分かってしまう災い」であり、人類は希望だけは失わずにすんだと言われます。こうして、以後人類は様々な災厄に見舞われながらも希望だけは失わず(あるいは絶望することなく)生きていくことになりました。

しかし、ここに答えがあった。
「希望を捨てた」のではなく「未来を全て分かってしまう」災いが降りかかってきたのだ。「明日は今日より悪くなる」という未来が分かってしまった、ということなのだ。