婚活=中流=昭和、ワーク=都市、ライフ=地方、全部限界という考え方

婚活の限界――白河桃子の「誤解された婚活」・婚活ブームを検証する 第2回(全4回)(2)

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 東京なら、「考え方を変える」ことで結婚に至る人は、まだまだいる。しかし地方に行くと、ひとつの県では限界が見える。長崎県では、県の婚活イベントを委託されているNPOからこんな嘆きを聞いた。

 「長崎県では、未婚女性の数のほうが1万人多いんです。仕事がないので男性は県外に出てしまう。男性の求人ページが2〜3ページしかない現状です」

 女性が、親にパラサイトしながら非正規雇用などで暮せる分、長崎はまだ豊かなのだ。これが東北地方に行くと女性も仕事がないので、県外に出てしまい、居残った長男の未婚人口が多いという結果になる。

 地方の結婚難は「嫁不足」だけではないわけだ。かといって、長崎の女性が東北地方に移住すれば結婚するという単純な問題ではないのだが、ひとつの県の中で解決できないことは確かである。

まず、これで地方の目が消える。支えになっているのか実家の持ち家と両親の存在。

私も、田舎である東北のさらにド田舎に住んでいるが、本当に仕事が無い。女性が1人で食べていけるような仕事なんて本当に無い。皆無。東北で女性が1人で生きていけるのは県庁所在地クラス以上の都市に限られるだろう。
なので、結婚した若夫婦はどうしているか。夫婦揃って県庁所在地クラスに住み、旦那が長距離通勤するというスタイルが少なくない。下手すれば旦那は県内で単身赴任、なんていうこともありうるのが東北地方だ。

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 そうすれば、夫婦2人合わせての世帯年収で生活できるので、結婚できる層が厚くなるはずだ。婚活支援と同時に、大阪などの会社で働く母親が利用しやすいよう、夜8時まで預かってくれる駅前保育所などを充実させることが必要ではないか?

どうしても話が「保育所」の方に向かうのはなぜなんだろう?
保育所が足りないのは政令指定都市クラスより上の大都市だけで、圧倒的に多くの地域は、職場が無い→保育所に預ける必要がない→不足しない、という、大都市よりもっと深刻な状態になっているのだ。保育所不足を論じるまえに、地方の保育所が足りなくなるぐらい地方に職場をつくる必要があるのだ。

つまり、女性が「夫婦共働きでもいい」と考えを変えたとしても、職場そのものが無い。ここで働く女性は矛盾を抱えることになる。

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 働く女性は、現在の生活のレベルを落とす結婚に魅力を感じない。となれば、女性がフルタイムで働き続けながら、結婚、出産をしていく「平成型男女共同参画結婚モデル」しかありえないのだ。

ここでもうっかり見逃してしまうポイントがある。
働く女性の「生活レベル」とは金銭の事だけではない。住んでいる町、働いている町そのものにレベルがあるのだ。早い話、大都市以外での居住、仕事は「レベルを落とす」事を意味する。この都市とは「保育所が足りなくなるレベル」の都市なのだ。つまり、ここでも働く女性は矛盾を抱えることになる。

つまり、都市部でも地方でも、働く女性は矛盾そのものなのだ。当事者である女性たちもそれは十分分かっている。
じゃあ、働く事をやめればいいのか、という事になるのだから、二言目には「出産で仕事をやめる事があっても、その穴を埋められる収入がある旦那じゃなければダメ」という発言が出てくるのだ。


格差社会という言葉か出て久しいが、ここでよく論じられる話がある。
なぜ車が売れなくなったのか。
収入全体のパイが1億円あったとして、年収500万円の人が20人いれば、平均的な大衆車が20台売れるが、年収2000万の人が4人と年収125万の人が16人では、高級車が4台しか売れなくなるのは当然の話だ、と。

これはワークライフバランスや都市と地方のバランスにも同じことが言えよう。
全人口が1億人の国があったとして、人口500万人の都市が20個あれば、東京並みとは行かなくとも、大阪や名古屋クラスの生活は保障されるだろう。
人口100万人の都市が100個だったとしても、仙台や広島、千葉、さいたまクラスの生活ができよう。住宅価格も安い。職場もそこそこある。通勤地獄や渋滞もかなり緩和されるだろう。大学だって複数運営できるだろうし、文化活動だって十分成り立つだろう。
しかし、現実は、3000万の都市、1000万の都市、500万の都市が1つずつあって、あとはすべて100万以下の都市のみ、といった感じだろう。
これでは車が売れない収入の人たちと同じだ。仕事が無くなる。収入が無くなる。当然こどもが産めなくなる。

日本人の戦後、昭和の人生は、この世に生を受けてから、(1)学校を卒業し、(2)就職をし、(3)車を買い、(4)結婚し、(5)子供を産んで…の繰り返しというパターンが一般的なんだろうけど、実は(5)はずいぶん前から止まり始まっていた。そして、いつの間にか(4)もだんだん先送りするようになり、気がついたら(3)をしなくなり、(2)ができなくなってきたのだ。そして今、経済的に苦しくなってきた人たちは(1)が危うい事になっている。つまり、世代交代という再生産サイクルの端っこを問題にしている場合ではなくて、自己完結すらおぼつかなくなってきている、という事だろう。

学校のテストの点数が悪かった人はこんな事を聞いたことは無いだろうか。50点のテストを60点にするのは簡単だが、80点のテストを90点にするのは大変だ、と。
いわば、都市部は伸び代が無いのに、限界ギリギリまで命をかけて伸ばそうとする80点の成績、地方は伸び代はあるけど、働く人もお金も能力も無い50点の成績。

国語、数学、英語、理科、社会の5教科すべてを満遍なく平均的にとれる人と、一教科だけとびきり頭のいい人。どっちがいいんだろうか。

「収入」というもっとも大事な教科はとびきりいい100点だけど、結婚や子育て生活というほかの教科の点数が60点という「大都市」。
一番大事な「収入」が50点しかないので、ほかの教科が70点程度では相手にされない「地方」。

都市部は100点の成績を20点捨てて80点まで下げてもいいから、ほかの教科を10点ずつ上げれば、5教科総合で20点上がるし、
下がった20点のリソースを使って、地方都市の成績を上げることに使ったほうが、最終的には結婚や子育てがうまく回っていくんじゃないのかなぁ。

ただ、ここで言う地方都市というのは、どんなに下げても、県庁所在地クラスまで。
地方という言葉でひとくくりにすると、私の地元のようなド田舎は勘違いするからね。
農山漁村は…まぁ、経済だけでは語れないから、公金投入して、支えるしかないでしょう。生活保護受給世帯が100万世帯ぐらいあるみたいなので、その半分か1/3負担にしても、200万〜300万世帯は支援できるでしょう。日本の全世帯が6千万世帯だとすれば3〜5%ぐらい。現状も5%切ってるぐらいだから、妥当な範囲だろう。