「穫」の農業思考と「獲」の狩猟思考

就職人気ナンバーワンは「公務員」、メガバンクでもなければ、資生堂でもない!

http://www.toyokeizai.net/business/management_business/detail/AC/8f65b7729679f5c5fe99689c3737511b/
 長引く不況で学生の安定志向はついに極まったのか。

 学生の就職人気ランキング第1位は大手有名企業ではなく、「公務員」だった。

 人事業務サポートのレジェンダ・コーポレーションが2011年4月入社の就職活動を行う学生に対して人気企業ランキング調査を行った。

 同様のランキング調査は他社でも行っているが、レジェンダでは「公務員」を対象項目に採用した。そうしたところ、資生堂三井住友銀行JTBなど就職人気ランキングの常連である大手有名企業を押さえて、公務員が第1位となった。

 公務員は1位になったのは「長く安心して働けそう」で「家族が安心しそう」なことが評価されたため。

 基本的にリストラがなく、安定していて、定年後に手厚い保護が受けられそうなこと。さらに転勤が少ないことも学生から好感された。

一生安泰に暮らしたい日本人の心が招いた閉塞感

http://diamond.jp/series/siliconvalley/10027/
 なぜ日本人だけが閉塞感を感じるのか。それは、日本社会が簡単には変化できない構造になっているからではないかと思う。そこには制度の側面と日本人のマインドセット(心の持ち様)の側面がある。

 制度としては、国家公務員制度と大企業のガバナンスが堅固な構造を持っている点が指摘される。マインドセットとしては、一回の就職で死ぬまで楽チンな人生を送りたいと願う日本人のワンパターン化した人生設計がある。

東洋経済」と「ダイヤモンド」
競合とも思えるこの2誌から似たような記事が。

日本人は農耕的な発想から抜けられないあたりに集約されるのではないだろうか。

「農業が成功して、たくさんの収穫を得ること」より「農業が失敗して、なにも収穫できなくなること」を避けたいと思っている。
農耕文化は基本的に春に種をまいて秋に収穫する。秋に収穫したものを翌年の秋まで食いつなぐ生活だ。
つまり、一度の失敗は死に直結するが、うまくいけば生活が安泰だ。

狩猟文化は違う。
今日獲った獲物を数日かけて食べ、その間に次の獲物を獲る生活だ。
一度や二度失敗しても死ぬことは無いが、獲れる獲物は少ないので食料はすぐに尽きてしまう。
失敗してでも積極的に攻めていかざるを得ない生活を送ることになる。

この感覚の違いがある以上、日本人に狩猟生活をしろといわれても難しいだろう。

農業思考のいいところは、努力しだいで全体のパイ自体を大きく出来るところだ。
つまり、当事者全員がその恩恵にあずかることが出来ることだ。
逆に悪いところは、自然災害のような、努力だけではどうにもならない、抗い難い事象に対しては無力であるということだ。

狩猟思考のいいところは逆である。
全体のパイは限られているが、努力で何とかなる部分がかなり大きい。
つまり、獲物を独占できる人が出てくる反面、何も得られない人が出てくる。

http://diamond.jp/series/siliconvalley/10027/?page=2
 最近、日本企業の業績が悪く、賃金がなかなか上がらない状況が続いている。グローバルな規模で環境の変化に対応できずに、競争力を落してきていることがその原因だ。これでは駄目だと考えている社員は多いはずだ。だが個人で何ができるのだと思い返し、悶々とした「閉塞感」を持ちながらも、経営陣の命ずるままに現体制を維持するほうに力を注ぐ。

ここで日本人は、賃金が上がらなくても一文無しになるよりはいいと考える。

 では米国の上場企業はどうであろうか。取締役会の機能がまったく違う。社長、すなわちCEO(最高経営責任者)を誰にするのかを決めるのは取締役会である。また取締役の圧倒的多数は外部者である。今まで別の企業を経営して実績を残した先輩経営者が外部取締役に名を連ねる。社長が唯一の内部者であることも少なくない。社長にとって取締役会は自分の首がかかる試験会場である。

ここで日本人は、クビにしたら飯の種が無くなってさぞかし困るだろう、他人の人生をそこまで左右させていいものか、と考える。

日本の企業社会は、転職しにくい、人の流動性が低いといわれて久しいが、出来れば転職なんかせずに済ませたいと考える日本人社会である以上、そう簡単には変わらないだろう。

 アメリカ人は30歳代で一生遊んで暮らせる金を稼ごうとする。そのためには給料の高いところに就職するか、早く起業する。一流大学卒の肩書きは人生の保証にはならない。そもそも一回の就職で一生を安泰に暮らせる人生などあり得ないと考えている。「人生はいつの時代にも自分の力で切り開いて行くものだ」という開拓精神をいまでも持ち続けている。

農業思考である日本人はこうは考えないし、こうなっても生きてはいけない。
全体のパイを広げながら当事者全員が恩恵にあずからなければならないのだ。一人勝ちは許されない。
日本人は悪しき習慣であると分かっていても、心のどこかで努力して収入を増やした人を妬んでしまう。ついつい結果の平等を求めてしまう。
誰かの努力によって得られた果実はみんなに分け与えなければならないと考えてしまう。
そうじゃないと妬まれてその社会では生きていけなくなるからだ。いわゆる村八分
それを振り切ろうと思っても、農業は団体戦であり長期戦だ。
必要なときに必要な人手を借りることが出来ない、水を得ることが出来ないというのは致命的なのだ。
さらに、作物が育つまでの長い期間、邪魔をされないことが条件とされる。

現在でも採れた作物を近所や知り合いにただで配ったりするのも、農村で上手に生きる生活の知恵なのだ。

これを現代社会に当てはめれば、現在の日本の状況がよくわかる。

全体のパイが広がっていた「バブル崩壊」までは絶好調だった。非常にうまくいっていた。世界もそれを認めた時期があった。
しかし、バブル崩壊後、パイが縮み始まるとそうはいかなくなった。むしろ日本人の農業思考のマイナス面が足かせとなる場面が増えてきた。

「心のどこかで努力して収入を増やした人を妬んでしまう」
「ついつい結果の平等を求めてしまう」
「誰かの努力によって得られた果実はみんなに分け与えなければならない」

「この分野のナンバーワンになってやろう」と発想を変えれば、「あなた」独自の世界が開けるはずだ。悶々とした「閉塞感」に悩むぐらいなら、自分の力で切り開いて行ける「あなた」の世界を築くべきである。

したがって、こういう「1人勝ち」的な発想は受け入れがたいだろう。かつてのホリエモン村上ファンドが受け入れられなかったように。

日本人は農業的に考えなければうまくいかない。
つまり「開拓地」を見つけなければならない。日本人は「新天地」という名の新しいパイが見つかったときの侵食速度は爆発的なものを持っている。
こういうとき、日本人は開拓団を作って新天地に向かったものだ。

日本人が感じる閉塞感を破ろうと思ったら、開拓団をつくるところからはじめなければならないだろう。
そのためには、団体レベルで既得権にしがみつくよりおいしい条件、環境づくりをしなければならない。

そんな好例のひとつがこれ

Kindle向け出版物の著者印税率を70%に倍増できるオプション

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100121_343750.html
Amazon.comは20日、電子書籍端末「Kindle」シリーズ向け出版物の著者印税率を70%にするオプションを発表した。

 Amazon.comでは、個人作家であっても、Kindle Digital Text Platform(DTP)を使用し、Kindle向け出版物を出版できる仕組みを提供している。これまで、同プラットフォームを使用した際の著者印税率は35%だった。今回発表されたオプションでは、その金額は2倍になる。

 ただし、70%の印税率が適用されるためには制約もある。まず、著者側が読者のダウンロードコストを負担する必要がある。ダウンロード費用は1MBあたり0.15ドル。現在、Kindleで流通しているファイルの平均サイズは368KBだとしており、その場合のダウンロードコストは0.06ドルになる。

 さらに70%の印税率が適用されるためには、5つの条件がある。

  1. タイトルの設定価格は2.99ドルから9.99ドルの間でなければならない
  2. 設定価格は紙書籍の設定価格の80%以下でなければならない
  3. 著者または出版社が権利を持つすべての地域で販売できなければならない
  4. Kindleの「text-to-speech」など、今後Amazon.comKindleに追加するさまざまな機能で利用できなければならない
  5. 紙書籍を含む競合と同等あるいはそれ以下の価格で提供されなければならない

狩猟的であり、農耕的。よその市場のパイを奪いつつ、新しい市場を大きく育てる。
しかも、途中に挟まって、中間搾取するやつらより、原作者のほうが儲かる。いかにも農業的ではないか。
そこに来てこの反応。

電子書籍」対応で協会発足へ…講談社など21社

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100113-OYT1T01113.htm
 2000年に発足した電子文庫出版社会(電子文庫パブリ)を母体に、各社が著作者から許諾をとった上で、電子書籍サイトへのデジタルデータの販売を行うほか、契約問題などの協議やデータ送信規格の共通化も模索する。

ひどいったらありゃしない。閉塞感漂う日本なのに、ますます閉塞化に向かっている。
せめて自分たちがAmazonの代わりに電子書籍を売ってやる、ぐらいの気持ちはないのか。

先祖代々守り続けてきた田畑という名の既得権まみれの市場。
大事に育ててきた作物という名の参入障壁だらけの商品。

パソコンも各社の「独自」規格の時代にDOS/V機がやってきて一網打尽。
デジタルテレビも日本「独自」規格の放送形式&B-CASなんていう存在理由に乏しいもので高止まり。海外ではもっと安くて性能が良いデジタルテレビが幅を利かせている。
一方、VHSやDVDなどの「共通」規格を作ったものは世界中に普及している。
書籍コンテンツの流通も同じ道をたどるのか?

日本人は、保存した食料が底を尽き、次の収穫期まで食いつなげないと分かったそのときにならないと動かないんだろう。
それが日本人の農業的思考だ。