庶民が一番偉い日本

日本を殺すスキャンダル狂い

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/09/post-1585.php?page=3
 政治家の「清潔さ」を過度に重視する風潮は、政治資金規正法などにも影響を及ぼしてきた。度重なる法改正により、この法律の規定は複雑極まるものになった。「スピード違反や税金みたいに恣意的なもの」で、検察がその気になれば「ほとんどの国会議員が捕まっても不思議ではない」と、政治ジャーナリストの田中は言う。

日本人のいわゆる「庶民感覚」が求める政治家というのは、一切お金を儲けることなく、死なない程度に貧乏で、正義感と使命感に満ち溢れ、ボランティア活動に明け暮れ、国の行く末を案ずるより、金持ちからお金を分捕って庶民の懐を暖めてくれる人なのだ。
「政治にお金がかかる」は政治の世界の中の人なら常識なのだが、そうでない人には「政治でお金儲けしてるんだろう」と脊髄反射し、忌み嫌うことになる。
あとは何をやってもダメ。どんなにすばらしい実績があろうとも、お金持ちになったらダメなのだ。
お金持ちになっていいのは汗水流して働いた人だけ。それが庶民感覚だ。

政治家が選挙運動のときに選挙カーに乗って遊説すると嫌われるが、自転車やマラソンしながら遊説すると人気が出る。政治家から金のにおいがしたらそれで終わりなのだ。運転手つきで黒塗りの車に乗って移動したらもうダメ。軽自動車に乗って自分で運転すればさぞや人気が出ることだろう。これが庶民感覚だ。
発言についても原稿を読んだり、難しい言葉を使っちゃダメ。庶民感覚から程遠い。地元の方言を使って、自分の言葉で喋るべし。
着るものも出来ればスーツも着ない方がいい。作業着がオススメだが、量販紳士服店で売ってる1着1万円程度の安物なら許容範囲だろう。庶民感覚を忘れてはいけない。

ところが、これを実践する人は地方の首長クラスで見ても数える程度だ。ほとんどの政治家は該当しない。だから「誰がなってもダメ」「みんな同じ」「投票する人がいない」ということになる。

 「政治とカネ」で政治家を片っ端から糾弾して失脚させることが日本にとって本当に得策なのか、考えるべき時期に来ている。

日本のことよりまずは庶民のために何かして欲しい。それが庶民感覚だ。
そのために、日本人は片っ端から政治家を切り捨てていくことを悪いこととは思わないだろう。
極端なことを言えば、今すぐすべての国会議員に辞職してもらいたい、二度と政治の世界に出てきて欲しくない、と思っている日本国民は少なくないはずだ。それが庶民感覚だ。

 鈴木はある意味、日本という国家の現状を象徴している。今も有力ではあるが、自らを弱体化させてしまって、国際的な影響力を急速に失いつつある──。

鈴木宗男
「だれだっけ?」とか「北海道のはげオヤジ」とか庶民感覚ではその程度の認知度だろう。
でも、大して関心はない。遠い異国のロシアとの関係よりも、スーパーの特売情報の方が大事なのだ。それが庶民感覚。
それでも「庶民感覚を知らない」と議員を糾弾する庶民。庶民はいつからそんなに偉くなったのだろうか。