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格差は縮めようとすればするほど広がる

なぜ格差は広がるのか?

http://news.livedoor.com/article/detail/5374769/
まず、高スキルの仕事の需要が増えているのは言うまでもないだろう。

また、先進国において低スキルもしくは低賃金の仕事の需要が増えているのもある程度想像できる。

その他もろもろ、いろいろな分析がなされているわけですが…
個別の事案について何かコメントするつもりはない。あくまで一般論として書いてみたい。

結論から言えば「格差は縮めようとすればするほど広がるのだ」

例えば…
「外国語が堪能で営業センスも抜群で見た目も美しい女性」と「メカにめっぽう強くてひらめきのセンスも抜群で体力も強靭な男性」
この二人を優劣つけられるだろうか。
必要なスキルの違いはあるだろうがこれは甲乙つけがたい。

しかし…
「外国語が堪能で営業センスも抜群で見た目も美しい女性」と「外国語が堪能で営業センスも抜群で体力も強靭な男性」
だとどうだろうか。

恐らく…
恐らくであるが、こうなると、営業職で保守的で信頼性に重点を置く人なら男性を選ぶだろうし、見た目や人当たりがものを言う世界なら女性を選ぶだろう。

また、
「メカにめっぽう強くてひらめきのセンスも抜群で体力も強靭な男性」と「メカにめっぽう強くてひらめきのセンスも抜群で体力も強靭な女性」
だとどうだろうか。

恐らく…
メカの設計開発をするような人だと長丁場の体力が必要となるだろうから男性のほうが優位になる。

どちらの場合でも、それぞれすばらしいスキルを持ちながら、些細な違いが決定的な差になってしまうのである。

これは、各個人個人の能力差を縮める努力をすればするほど、ほんのわずかな違いが決定的な差になるということである。

こういう話はさまざまなシーンで見ることができる。

例えば地方に新幹線が開業して、これで大都市と地方が近くなるから、地方でも都会とそん色なく仕事ができるから企業誘致が進んで地域が活性化する、という話。
例えばインターネットが日本全国津々浦々、隅々にまで普及して「これで地方と中央の差が縮まった」と喜ぶ地方民の話。

結果はどうだろうか。
まったく逆の結果になった。
つまり、東京への一極集中が進んだのだ。

人の例で考えてみよう。

これからは学歴なんて関係ない、個人のやる気と能力が大事なんだ、という話。
障害者である子供が一般の学校の一般の学級に入学が決定した。これでわが子は普通のことして学校生活が送れる、という話。

結果はどうだろうか。

Fランク大学を含め、みんなが大学進学をするようになった。学歴なんて関係ないといっているのに、だ。
結局、大卒という経歴が最低限必要だという話に置き換わり、高卒は問題外、という話になっただけ。
学歴なんて関係ない、ではなく、学歴は大卒が当たり前、と言う形で平準化してきている。

障害者が一般の学校で学び、一般の学校で生活をした。
その後どうなった?障害がなくなったわけではない。障害は厳然とし残っている。
残酷だが、一般社会では五体満足が当たり前、という形で成り立ってきた。

戦中戦後の学校生活はどうだろうか。

大半の庶民がボロを着て、芋をかじって生き抜いてきた。
学校に行けば、金持ちの子供は白米を食べ、貧乏人の子供は芋をかじった。
金持ちの子供はきれいな洋服を着て登校し、貧乏人の子供はつぎはぎの絣を着て登校した。
金持ちと貧乏という明確な差の前に、洋服とつぎはぎの絣の差や、白米と芋の差は当たり前であり、大きな意味を持たない。格差はあって当たり前の時代だからだ。

しかし今はどうだろうか。格差を埋めようとみんなが同じ制服を着、みんなが同じ給食を食べるようになった。
その結果、それ以外の些細な差…
携帯電話。学生かばん。私服。靴。通学用の自転車。携帯用ゲーム機
ほんの些細な差で大きく格差を感じるようになってしまった。

つまり、格差をなくした瞬間に比較対象としてのパラメーターか減っていき、少ない要素で格差がつくようになってしまった。
人間、完全に格差をなくすことなんてできないのだ。