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放送局こそ、送・制分離を

【日本版コラム】東京電力の「発送電分離」、日本のエネルギーイノベーションに不可欠

http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_243882
一口に電力自由化といっても、電力ビジネスには、理論上競争が起きる分野と起きない分野がある。発電部門と小売り部門は新規参入企業によって市場競争を起こすことができるが、送電部門は本来公共財であり、競争に適しない。したがって、効率的に自由化を行うためには、発送電分離して、送電部門を公益に基づいて管理することが必要となったのである。

東日本大震災による原発事故の発生から、電力事業のあらゆる部分について疑問が呈されるようになり、その解決方法のひとつとして、電力の「発送電分離」という考え方がある。
これの是非についてはおいておくとして…

高岡蒼甫に「韓国のTV局か」「洗脳気持ち悪い」と言われたフジテレビ社員の言い分

http://wpb.shueisha.co.jp/2011/08/10/6315/
「テレビ不況真っただ中の現在、スポンサーに頼らない放送外収入をいかにして確保するかが大事。上場企業のビジネスとして、何か問題があるのでしょうか」

民間企業である以上、利益追求は当然でしょう、とも言いたげな発言であるが、私はここに違和感を覚えるのだ。

上の「電力の発送電分離」の記事にも

発電部門と小売り部門は新規参入企業によって市場競争を起こすことができるが、送電部門は本来公共財であり、競争に適しない。

と、あるように、
テレビ局において(番組)制作部門は新規参入企業によって市場競争を起こすことができるが、電波を使った放送部門は本来公共財であり、競争に適しない。
現在のテレビ局はこの公共財を独占したまま利益追求をしようとするから反発が起きるのだ。
しかも、市場競争がある制作部門については自社で行わず外部の制作会社などに委託する反面、著作権は自社が持つと言うように、リスクを外部に押し付け、リターンだけ自社が得られる構図になっているから、電波と言う公共財を独占することによる強者の立場を利用していると見られてしまうのだ。

「上場企業のビジネス」と言うからには「倒産」というリスクを背負って利益追求をしなければならない。
また、一部の声として「イヤなら見なければいい」という意見もあるが、これは的外れだ。

端的に言えば
「視聴率が0%になればテレビ局は潰れるのか?」
「民放局は自由競争の中で生きているのか?」
という話に尽きる。

イオンやセブン&アイのような大手小売だって、お客が来なければ必ず潰れるし、小売市場に新規参入する会社が現れてこれらのお店からお客を奪い、大手小売を潰す所まで追い込むかもしれない。大手といえどもそういうリスクを抱えた上で客商売をやっているのだ。

しかし「イヤなら見なければいい」といって視聴率が0%になったらそのテレビ局は潰れるのか?
既存のテレビ局を潰しに来る新規参入局は現れるのか?

恐らく「否」であろう。絶対に潰れない。潰れそうになっても何らかの形で救いの手が入るだろう。
電波の免許制と言う絶対安全な城に囲まれた上での似非競争をしているに過ぎない。

そこで、もっと健全な市場にするためには公共財たる電波の利用…すなわち、放送部門については、放送内容については一切関知しない、完全中立の立場を取る公的組織に委ね、制作部門については自由競争にするべきであろう。

それはあたかも、インターネット接続におけるNTT東西と民間ISPの関係と同じであるかのように。
物理回線はわりと公共性の高いNTT東西が担い、インターネット接続サービスは数多くのプロバイダーが自由競争するのと同じ構図にすればいいのだ。

もっとも、この考え方は今に始まったわけではなく、数年前にすでに議論されている。

「番組規制の恐れ」 民放各社が情報通信法案に猛反発

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090805/plc0908052214009-c.htm
 反対意見が集中したのは、放送設備(ハード)の運営事業と、番組(ソフト)の制作事業を分離し、個別の行政手続きで認定するという規定だ。現在の放送免許制度では、政府は設備運営から番組制作までを一括して行うテレビ局に対し免許を与えている。現行制度でも、放送局が違法行為などを行えば、行政側は電波法に基づき放送施設の運営を停止できる。 ただ、番組制作への規制については、不偏不党の原則を踏み外すなど重大な違反がない限りは行われないため、行政による放送内容への直接介入は実質的に抑制されてきた。しかし、政府がハードとソフトを別々に認定する仕組みに改まると、番組内容に対する政府の立場が今まで以上に明確となり、直接介入が増えると懸念されているのだ。 実際、答申案に対し、各社は「番組準則(規則)などに違反したかどうかを行政が判断し、業務停止命令や免許・認定の取り消しができる懸念がある」(テレビ朝日)、「今回の法体系の見直しを契機に、コンテンツ規制が強化されるのではないか」(NHK)などの指摘が相次いだ。 「番組制作事業を認定する場合、その基準が具体的に何なのかが分からない」(日本民間放送連盟の竹内淳企画部長)といった点も各社の疑念を招いた。

2009年の話である。
NHKも民放も心配事はただひとつ。
「番組規制の恐れ」
である。
裏を返せば、ここに旨味があるのだ。
特に、政府の介入を嫌っていると言うことは、コンテンツに含まれる意図をコントロールする権力を持つと言うことは政治的な利用価値が高い、といっているのは明白だ。

今回の韓流騒動は、テレビ局自ら経済的な介入を行い、コンテンツに含まれる意図をコントロールする権力を振るったことによる反発なのだ。
つまり、自分たちはコンテンツに対する政府の介入を嫌ったくせに、自分たちが進んでコンテンツに対して介入をしたのだ。
しかも、電波を発信すると言う公共財を独占したまま。

ここが分離されていれば、フジテレビが一生懸命韓流を推すのはまったく問題ない。売れると信じてコンテンツを作り、販売し、儲けることは「上場企業のビジネス」として当然のことといえよう。もっともこの場合、売れなくて赤字になる、と言うリスクも同時に抱えることになる。しかし、そこまで考えた上でコンテンツ販売をするのが「上場企業のビジネス」というものだろう。それを避けるために公共財たる電波を独占使用し、いわゆる「ごり押し」と受け取られかねないことをするから問題なのだ。

テレビ局は、コンテンツの内容の自由が欲しかったら、電波と言う公共財を手放すべし。