混ぜるな危険!「無理」と「努力」

ワーク・ライフ・バランス実現への課題

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/067.html
現在の労働時間を減らしたいと考える「過剰就業意識」について、日本の場合、労働時間が短い(週35時間未満)層でも、過剰就業意識を持つ人が多いことがわかりました。これは仮に短時間勤務制度を利用していても、自分が望むだけの時間短縮は実現できていない可能性を示しています。これに対し、英独では長時間労働でも過剰就業意識との関連性は日本ほど強くはありません。英独では、短時間でも長時間でも働き方をある程度個人で選択できるという状況があるのではないかと推測されます。これに対して、日本は労働時間の自己決定がしにくい状況があるようです。こうした実態がWLB満足度の低さにつながっています。

労働時間が短い層でも過剰就業意識を持つ人が多いということは、日本の労働がいかに「やらされている」「権限は無いのに負う責任だけ重い」かを示すものでは無いだろうか。
「多様な働き方」と言う言葉を聞くようになってからかなりの時間が経つのですが、実態は経営側の都合に合わせた「多様な働かせ方」と言うものだけが先行してしまっているように見える。
それゆえ「自分が望むだけの時間短縮は実現できていない」「労働時間の自己決定がしにくい」という状況が生まれているのだ。

儲からない仕事でも「会社の経営戦略上」とか「コネクション確保のため」とか「取引先の都合上」とか、いわゆる「大人の事情」でやらざるを得ない仕事と言うものは少なくない。しかし、仕事を選べない、仕事のやり方も決められている、属人主義にならないようにと、個人のノウハウはオープンにさせられるという、手足を完全に縛られた状態の企業の一従業員という立場で成果主義だけ求められる。
それはまるで「東京駅から新大阪に電車に乗って移動すること」と言う手段は規制しながら、いかに低価格で早く東京から大阪までたどり着くかを競いなさい、成果を出しなさい、と言われているようなものである。
こんな条件では、新幹線以上の速さで移動する手段はなく、おのずと価格で競争せざるを得ない状況に巻き込まれていくのである。

仕事より休み選ぶドライバー 時短で活気失う会社

http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-6806.php
 「贅沢をしなくても、最低限の生活ができれば、それ以上は望まないという考えのドライバーが増えた」と嘆く。「いい暮らしがしたい、多く稼ぎたいという野心は、今の若者にはないのか。労働時間の短縮、そして度の過ぎる労働時間の管理は、ドライバーの意識までも変えてしまった」とし、「人を使うことに、これほど気をもまないといけない時代が来ることを想像もしていなかったよ」と漏らしている。

もうこれは時代錯誤も現状認識の錯誤も甚だしい。「いい暮らし=稼ぎの多さ」ではないのだ。ドライバーは特にも体が資本。一時の無理が祟って身体を壊し、その後稼げなくなっては元も子もないことは働く側が一番良く知っている。会社は従業員を守ってくれないのだ。そしてもう一つ。ちょっと無理して稼いだ残業代より自分の時間の方が貴重。価値が高いことを知っている。時は金より価値があるのだ。経営側もお金を出せば気を使わず、リスクを回避した上で従業員を動かせると思ったら大間違いなのだ。
「当時は寝る間を惜しんで働いた」「仕事があれば俺がやりたい」というような、やる気の問題で片付けようとしていること自体が物流業界の労働環境の劣悪さの現れであり、こういった無理を通してしまうことが、ワークライフバランスの破壊につながっていくのだ。
誰かが無理をし始めると、それが当たり前になってしまって、更なる無理をしなければならなくなる人が出てきてしまう。それは「努力」ではない。「無理」と言うものだ。