昭和の石油ショック、平成の福祉ショック。

橋下市長個人にではなく〈橋下的なもの〉に感じる違和感。本当に必要なのはリダンダンシーのある社会ではないか

http://diamond.jp/articles/-/15769
同じような行政サービスは二ついらない、それは税金の無駄だと考えるのが現代の風潮です。しかし、場合によっては、同じようなものが重複していることも、大切なことではないかと思うのです。

大切なことだと言うのは分かる。
が、それを支えるのは税金であり、税金の元となる納税者の力。

ところが「高齢者は弱者である」「弱者はすべてに優先して保護しなければならない」と考えるのが昭和の発想だった。
当時高齢者だった人には子供がたくさんいて、支える側の人的リソースも金銭的リソースも時間的リソースも潤沢だった。湯水のごとくリソースを消費しても問題が出なかった。
昭和の高度成長期に「石油ショック」と言うものがあった。それまで日本人は無頓着に石油を使っていたが意識が変わった。需給が逼迫し、価格も高騰した。金さえ出せばいくらでも手に入ると言う代物ではない、限りある資源を有効に使わなければならない、ということに気が付いた。

いまは少子高齢化社会であり人口減少社会である。この事実は小学生でも知っていよう。つまり、支える側の人的リソースも金銭的リソースも時間的リソースも間違いなく減っていく、と言うことである。
そこを無視して行政サービスを冗長化しろと言うのは、石油ショックの時代に「もっと石油を湯水のごとく使わせろ」「必要なんだから産油国は供給するのが当然だ」といってるようなものだ。

この手の物言いの人に共通する点がある。
それは、人的リソースや金銭的リソース、時間的リソースというものは何処からか無尽蔵に沸いて出てきて自由に使えるものだと思っているところである。しかも自分はそれらのリソースを自由に使う需要側の視点に立ち、リソースを提供する供給側の視点に立たないから始末が悪い。

東日本大震災の影響で全国の原発が運転を停止している。国や東電の電力需要予測も眉唾な面は否めないが、国内の最大電力供給量が減ったことは間違いないだろう。需要に対し供給が不足すれば価格が上がるのは経済の基本。
リダンダンシーが必要だと言う香山氏なら「原発を再開しろ。電力供給にはリダンダンシーが必要だ。」とか「石油だけじゃなく天然ガスも輸入しろ。資源の確保にはリダンダンシーが必要だ。」と言ってくれるだろう。
一時しのぎならそれでも良いかもしれない。石油は資源であり商品でもある。不足すれば価格が高騰し入手困難になる。そこに政治力や感情が入り込む余地は少ない。
しかし、税金や福祉といった政治の世界はそうではない。一度確保した利権は手放さない。たとえ若者が無職になり、生活に困窮し、税金をまともに納められなくなったとしても、お年寄りのために人的リソースや金銭的リソース、時間的リソースを注がなければならない。

「物事を何でも極端に白黒にわけて、黒はダメと一刀両断に切り捨ててしまう」
「自分に対する反対意見を徹底的に論破して否定し、多様性を認めようとしない」

「切捨てはダメ」という発想があるから、職に就けない若者のような「新しい弱者」を認めようとしない。認めればお年寄りなどの「古い弱者」を切り捨てることになり「切捨てはダメ」という自らの主張と矛盾する。その矛盾を回避しようとすれば「どちらも弱者」と認めるしかなくなる。
そのためには「多様性を認める」必要がある、と言う論法だ。

しかし、こんなことを続けていたらどうなるか。
最終的には「一億総弱者」と言うことになり、支える人がいなくなるのだ。
そこに目が向かないのは支える側の人的リソースや金銭的リソース、時間的リソースは自然に沸いて出てくるものであり、その源泉は「支え合い」「絆」「共同体」という想像の世界のものである。
まさか、どこかの資本家や大金持ちが慈悲の心をもってそれらのリソースを提供してくれる、とは思っていまい。
もちろん、こういう考え方は大事ではあるが、これでお腹が一杯になるわけではないのだ。
共産主義が豊かな生活に結びつかなかったのはいまさら語るまでもなく、そういうことなのだ。

日本が豊かになったのは、アメリカの庇護があったとかいろいろな理由はあるだろう。しかし、それとは別に日本人には「自分の飯ぐらいは自分で稼ぐ」「働かざる者食うべからず」「施しを受けるのは恥だ」という精神がある。生活保護をもらえる立場にあるお年寄りが生活保護を拒否すると言うのはそういう精神があるからなのだ。この気力こそが「支える」精神であり、人的リソースや金銭的リソース、時間的リソースの源泉なのだ。

誰かが資源を生み出して初めて資源をを使う事ができる。

消費税の増税議論も
「資源が必要だから誰か出せ」
といってるから納得する人が少ないのだ。

そして、その必要な資源を提供するのは他でもなく、若者なのだ。

橋下徹 若者優遇政策を熱く語る

http://nikkan-spa.jp/136261
僕は大阪市役所の首長で、それ(年金など社会保障制度改革)をやるのは国会議員です。ある一定の環境を整えても若者が政治に参加しないのだったら、「若者に不利な制度ばかりでもそれは仕方がない」という話。最後は自己責任になると僕は思っていますけれども、大阪市長として、若者が参加する気になってもらえるような仕組みを少しでもつくれたらと思っています。

だからこそ、橋下市長は若者優遇を語るのだ。
将来に投資をしないで回収ばかり考える。
供給サイドではなく需要サイドの都合ばかりでお金の使い道が決まる。そんな大阪ではまずい、と言う声が橋下市長を支えているのだ。

税金や年金、福祉少子高齢化など日本が抱える問題の多くは供給サイドではなく需要サイドに都合が悪いから問題とされている。
年金の未払いなどは供給サイドのささやかな抵抗なのだ。

石油ショック後、日本は省エネ技術を磨き、さまざまな製品を生み出した。
そしていま、福祉ショックと呼んでも良いだろう。
もっと効率の良い福祉を実現していかなければならない。
複数の政策で1つの問題点を解決するどころか、1つの政策で複数の政策を解決しろ、と言っているのだ。

もっとも、そんなことをすると天下り先が減ったり、権限がなくなってしまう偉い人がたくさんいるから、なかなかそうはならないんだけど。