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留年や単位制より、卒業検定制にしたら?

留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/02/post-403.php
確かに、今の日本の小中学校では、何らかの理由で全休しても卒業証書が出るという運用がされており、結果的に学力不足のまま高校へ行ってしまう子供が存在するのは防げないわけです。高校の「底辺校」では「6桁の数字が読めない」などという衝撃的なレポートもあるわけで、結果的には高校を中退することで貧困層を生み出しているとも言えるわけです。

そもそも論として
「結果的に学力不足のまま高校へ行ってしまう子供が存在するのは防げない」
と言うことに何の疑問も持たないところからおかしいわけで…

高校は義務教育ではないのに、あたかも全入するのが当たり前みたいなことになっていることに誰も突っ込まないのはなぜなんだろうか。
ちゃんと入試をやって、学力が足りない奴は落とす。「15の春を泣かせるな」なんて「運動会で仲良く一等賞」並に滑稽なことだと言うことに気が付かないのだろうか。
中学生のうちから受験戦争に巻き込むなんて…と、親の自己保身のために子どもに情けをかける振りをするから

「平均」の意味、大学生の24%が理解せず

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120224-OYT1T00931.htm
「偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるか」を論理的に説明させる中3レベルの問題の正答率は19%。小6で学ぶ「平均」についても、求め方は分かるが、「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち、中堅私大では半数が誤答だった。

こういう大学生が出来てしまうのだ。
みんな分かっているはずだ。大学に入学する目的が、勉強して教養を身につけることではなくて、大卒と言う肩書きが欲しいだけなんだ、と。
何十年も前から問題視されているのに、親の自己保身とわが子かわいさという観点から誰も変えようとしなかった。わが子が大学を卒業するまではこの仕組みが変わってほしくない…親にはこんな感覚が心の底にあったのではなかろうか。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/02/post-403.php
日本の場合に小中での留年や再履修を実施する場合に条件が一つあります。それは、日本の中学校以上の社会にある「先輩後輩カルチャー」というのを、これを機会に根絶するべきだということです。

先輩には「ですます調」で話し、後輩には「だ、である調」を基調とした権威的な話法で通す、下から上への「異議」は認めない、「先輩」の自尊心は守られ「後輩」は自尊心上の譲歩を強いられるという「無意味なヒエラルキー」を根絶するのです。

私もこれには同意。
年長者と言うだけで「逆転する事が不可能な絶対的立場が上」というポジションが自動的に転がり込んでくるシステムは非常に良くない。
「若造の癖に生意気だ」という何の根拠もないジャイアニズムが若い世代からするといかにうっとうしいものであるか、そして若者の活力を削いでいるか。ただ歳を食っただけの年寄りは努力した若者に負けるのは必然、という当たり前のことが教育現場に入り込む意味は大きいだろう。

大阪と比べて「東京はぬるい」という印象を持つとしたらそれは違うと思います。そうではなくて、「先輩後輩カルチャー」は高校生になるとほぼ100%子供たちの心理を支配しているので、本当に「後輩と一緒は無理」という子が多いと見るべきです。どちらも、中退者イコール貧困化という「戦い」の中で必死である中から出てきた案なのだと思います。

大阪流も東京流も一長一短だろう。言いたいことは分かるし概ね同意できるところである。
しかし、ここでも冒頭に書いた
「結果的に学力不足のまま高校へ行ってしまう子供が存在するのは防げない」
ことを無視して話が進んでいるのでなんとも間抜けな話に見えてしまう。
中退者が出る事を防ぐ事はできないだろうが、それ以前に高校の授業についていくことが困難であろう生徒が入学出来てしまうことが問題なのではないだろうか。
その結果、収入が大卒や高卒より少なくなると言うことはある程度許容しなければならないのではないだろうか。それが「能力に応じた報酬」という事なのではないだろうか?
高校に入学しながら中退してしまうまでの時間で、仕事をしながら能力を身につけた方がより良い場合もあるだろう。

もう一つは、その人間の能力を評価し、そこに年齢での上下関係を持ち込まないとうことです。飛び級で大学の物理の授業を受けに来た高校生を、大学生はパーソナルな人間関係でも仲間として迎え入れねばならないし、その高校生に明らかに卓越した才能があれば、大学生は素直に賞賛すべきなのです。逆に文字式の意味が分からなくて中2なのに1年生の数学を受け直している子は、中1の出来る子に丁寧に教えを請えばいいのです。

これを実現するためには、いっそのこと卒業検定制にしてはどうだろうか?
もちろん学校と言うところは勉強だけ出来れば良いと言うものではない。
自動車の運転免許取得に対する自動車学校の学科試験と実技試験のように、勉強の分野は運転免許の「学科」のように免許センターのようなところで検定試験を随時行い「中学学科合格」「高校学科合格」を出せばよいだろう。一発勝負の受験技術競争になってしまうという心配がある場合は「第一段階」「第二段階」のように何回か受験して合格しないと「学科合格」出来ないような仕組みにしても良いだろう。
体育や音楽のようなその他の教科や集団行動、課外活動などは運転免許の「実技」のように最低活動時間200時間などと決めて、学校が「中学実技合格」「高校実技合格」を出すという形にし、両方揃って初めて「中卒」「高卒」扱いにすればよいだろう。
これなら学年や単位と言う概念がなくなるので、力のある子は飛び級も出来るし、力のない子は力が付くまで留まっても屈辱的な思いは少ないだろう。
もっとも、個人的には屈辱的な思いをする事も大事な事だと思っているので、先輩が後輩に勉強を教えてもらうと言うことを経験するのも、力のない子には必要なのではないかと思っている。要するに、人は平等ではない、格差は厳然と存在する、と言うことを身を持って知る必要がある、と。

さらにこの方法だと卒業が春に固定される事もなくなるので、

記者の目:東京大の学部生秋入学移行=木村健二(社会部)

http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120222k0000m070133000c.html
入学時期の在り方を見直してきた東大の懇談会は、1月20日に中間報告を公表した。その中で秋入学移行の利点について(1)国際標準(秋入学)に合わせ留学生の出し入れを容易にし、国際化に対応する(2)入試時期は現行通りとし、入学や卒業の前後に生じる隙間(すきま)の期間「ギャップターム」(GT)で学生に多様な経験を積ませる−−を挙げた。

いつでも卒業が出来るので、国際標準という謎の標準に合わせるまでもなく、自動的に全世界何処からでも何時でも受け入れが可能になる。結果、隙間と言う概念もなくなるので、こんな悩みもなくなってしまうのだ。
大学は基本的に単位制だ。通年入学とまでは行かないだろうが、四半期ごとに入学と卒業を同時に行うようなスタイルでもなんら問題はないだろう。単位が積みあがれば卒業と言うシステムなのだから。

企業が通年採用をしている事を考えれば、大学卒業から就職と言う流れにもまったく問題なく対応できるだろうし、特定の期間に就職・採用活動が集中する事もないので、就職活動する学生も楽になるし、採用する企業側も楽になるだろう。