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農業化する映像・音楽業界

違法ダウンロード刑事罰化・著作権法改正案が衆院で可決

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1206/15/news057.html
政府提案の改正案では、暗号によるコピー防止技術が施されたDVDなどの複製を私的複製の範囲外とした。CSSによるコピー防止が施されているDVDをPCのHDDに吸い出すリッピングは、ユーザーが購入したDVDを自分のPCに落とす限りにおいては私的複製として認められてきたが、施行されれば今後は違法になる。罰則規定はないが、DVDをリッピングできるプログラムの提供などには罰則が科される。

古くはレコードやFMラジオからカセットテープにダビングをしていたことが「私的複製」の範囲と解釈されていた時代からの流れで、消費者は音楽CDも私的範囲の中でカセットテープにダビングをしてラジカセやウォークマンで音楽を楽しんでいた。しかし、あるときCCCDというものが世に登場することになり、CDが技術的にコピー禁止ということになったのである。
ここで消費者に疑問が生まれることになる。
「私たちが買ったものは何なんだ?」
それに対し、楽曲を販売する側は「楽曲を聴く権利を買っている」と回答したのである。
レコード盤は針を乗せて聴く媒体である以上、物理的磨耗があり、最後には楽曲が満足に聞けなくなってしまう。それを防ぐ意味でカセットテープにダビングをして、音源たるレコード盤は大事に取って置く、という音楽の聴き方が普及したのである。CDも同じである。傷が付けば楽曲が聴けなくなってしまう。それを防ぐために私的複製を行っていたのである。それなのにコピー禁止といわれたら、返す素朴な質問はただ一つ。
「CDが傷ついて聞けなくなったらどうするの?」
それに対し、楽曲を販売する側は「もう一枚CDを買ってください」と回答したのである。
これに消費者は怒った。
「私たちが買ったものは楽曲を聴く権利じゃなかったのか?」

この怒りはおさまることなく、時は流れ…
アップルがオンラインで楽曲を販売し始めたのである。媒体無し、純粋にコンテンツだけ、と言うものだ。しかも、一度買った楽曲は再ダウンロードができると言うものである。
消費者は納得した。
「私たちが買ったものは間違いなく楽曲を聴く権利だ」と。
この頃から、CDを売る側は「CDが売れないは違法ダウンロードのせいだ」「カジュアルコピーのせいだ」と騒ぎ始める。しかし、消費者は納得しなかった。
「お前らが売っているものは『楽曲を聴く権利』じゃなかったのか?」
「それだったらお前らもネットで売れば良いだろう」
という消費者の声が上がっていた。
それと同時に疑念が浮かび上がる。
「CDを売る側が売りたいのは『楽曲を聴く権利』ではなくて『銀色の円盤』を売りたいのでは?」
という疑念だ。
しかし、この疑念は晴れることなく時は流れることになる。
そして、この法律改正。
消費者が抱いていた疑念は確信へと変わるだろう。
「CDを売る側が売りたいのは『楽曲を聴く権利』ではなくて『銀色の円盤』だ!」と。

こういう経緯があるから、今回の法改正も
「楽曲を広く世に流通させたかったら俺たちのところを通せ、楽曲を聴くスタイルも俺たちが決める」
と言ってるように聞こえてしまうのである。
と、なれば、後はお得意の拡大解釈である。
CDがそういう解釈してるんだから、CSSのような明らかにコピー防止機能が入っているものは当然ダメだろう。
結果、媒体としてのDVDがダメになったら買いなおせ、と言うに違いない、と解釈されてしまうだろうと考えるのである。

そこで、ふと思った。
この仕組み、どこかで見たことがある…と思ったら、農家と農協の関係と同じ。

農家(楽曲を制作する人)はせっせと米(楽曲)を作るのに、自主流通(インディーズ)は実質制限され、農協(レコード会社)が流通のネックになって、流通を牛耳る。それどころか農協(レコード会社)で働く人を支えるために農家(楽曲を制作する人)がますます苦しむ、という構図。

農作物(楽曲)を育てるために農機具や肥料などの斡旋販売(プロモーションや販促)はするんだろうけど、その負担は最終的に農家(楽曲を制作する人)に返ってくるところまで似ている。

農業の世界はまだまだ「農協はずし」も「農家の企業化」もそれほど進んでいない。しかし、楽曲はインターネットという武器がある。これを使って既存の流通を破壊する方が得か、温存した方が得か…その答えは農業にある。

映像の世界も音楽業界の後を追うだろう。データ量が多くて重い。関係者も動くお金も桁違いに多い、と言う意味では音楽だけよりはまだ体力があるかもしれないが…