体罰も恋愛禁止も追い出し部屋も「達成できない目的」を押し付ける理不尽である

体罰の根っこにある 「理不尽に対する耐性」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kanekotatsuhito/20130201-00023284/
いまはどうだかわからない。だが、10数年前、その大学のサッカー部ではグラウンドを整備するのは1年生の仕事だった。米国からの帰国子女として入学した青年には、それが理解できなかった。なぜそんなことをしなければならないのか。サッカーの上達とはまるで無関係ではないか――。

まったくもってその通り。「サッカーの上達」とグラウンド整備は無関係だ。でも、グラウンド整備は誰かがしなければならない。そこで下っ端たる1年生にだけ押し付ける。1年生である限りグラウンド整備を終えるという目的は達成できない。1年間じっと耐え、2年生にならなければ達成できない目的を押し付けられる。これが理不尽なのだ。

仲里依紗、AKBの恋愛禁止に反論

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/02/03/0005715992.shtml
仲は「なんか普通に恋愛できないのってかわいそーじゃない?皆1人の人間なんだからそれぐらいするわ!生きてんだからさ。アイドルだって人間なんだから。テレビの前だけでアイドルやってればいいと思う」と同情。

まったくもってその通り。芸能活動は仕事をしている時だけやればいい。休みの時はただの人だ。でも「アイドルは処女」みたいな妙に神聖視されている幻想を守るため、プライベートな時間や考えを持つことは許されない。芸能活動をちゃんとやればそれで良い、という目的を達成するだけではダメで、滅私奉公の精神でプライベートまで犠牲にして人生の全てを捧げなければならない、という達成できない目的を押し付ける。これが理不尽なのだ。あげく、理不尽な目的が達成できないと丸坊主にさせられる。

「追い出し部屋」の背景と対策

http://diamond.jp/articles/-/30895?page=5
 業績の悪化で解雇したい対象が増えてきたこともあって、こうした自己都合退社実現のための器を各社が用意することになったのだろう。表向きには、仕事がある先への人事異動であって指名解雇ではないが、心が折れて自主退社したくなるように社員を仕向ける仕組みである。
 人間の心を痛めつけることを手段として用いるのだから、「嫌な感じ」のやり方であることは間違いない。大企業の悪知恵ともい言いたくなる。

これも同じである。クビは切りたいが簡単には切れない、そこで、達成不可能な目的を押し付け退職させる方向に仕向ける。

根っこはみんな同じなのだ。
仕事に対して達成すべき目的を明確にしない。理屈じゃないんだという精神論でまくし立て、人間形成だとか「道」だととかいう言葉で本来の目的を曖昧にする。
ホリエモンは「法律に触れない限り許される」といって怒りを買った。
朝青龍は「勝てばいい」と言って大鵬に「勝てばいいは間違いだ」と指摘された。
自分で自分を戒めるのは良いだろうが、他の人から戒められる理由はない。ましてや、他人の人生を潰すところまで踏み込んでいいのか、ということだ。

「目的達成のためには手段は選ばなくてよい」とまで言うつもりはないが、押し付ける方は明確な目的があってやっている。押し付けられる方だけが理不尽という不公平な立場で行われているのだ。

体罰も監督やコーチという安全圏にいる人達からの体罰があり、AKBの恋愛禁止も事務所やプロデューサーという安全圏にいる人達からの押し付けルールが有り、追い出し部屋も人事や経営側という安全圏にいる人達が行う仕組みがある。
つまり、人が持つ能力を最大限に活かそうというプラスの発想ではなく、自分のポジションを守るために弱そうなやつを理不尽でもなんでもいいから適当に難癖をつけてイジメよう、というマイナスの発想なのだ。

イジメはあるが祝福する文化のない日本

http://wirelesswire.jp/london_wave/201302010745.html
次に嫌だなあと思ったのは、法律でも何でもない理不尽な決まりを破った人間は、こうやって公衆の面前に曝して、心理的にいびってよい、という考え方を助長している様に感じたからです。丸刈りになった方は別に法律違反をしたわけでも、犯罪を犯したわけでもありません。雇用契約がどうなっているのかもしれませんが、雇用契約違反だとしても、公衆の面前で恥ずかしめを与える必要などありません。こっそり処理すれば良いでしょう。

それに、このグループのルールが、「仕事のために私生活を犠牲にして当たり前」が前提になっている、というのは、すべてを会社に捧げるのが当たり前、という日本の滅私奉公の考え方そのままであります。そういうビジネスモデルだから、とは言っても、昭和的な価値観は今の時代に合っていないのです。エンターテイメントだって、何が社会を良くするのか、考える責任があるのではないでしょうか。儲かるなら何をやってもいい、というのなら、武器商人や麻薬密売人と同じです。

まさにこういうことなのです。

労働裁判所での審理は原則公開なので、会社名も何もばれてしまいます(日本の労働審判制度や「あっせん」は非公開です)有罪になったら大変な賠償金を支払うことになります。それに、本人が訴えなかったとしても、人権団体や女性団体が黙っていないかもしれません。

体罰や恋愛禁止、追い出し部屋というような理不尽なことをやるからには、やる側にもそれなりのリスクと覚悟を背負ってもらわなければならないでしょう。安全圏にいる上の立場から対等な立場に降りてもらわなければ不公平というものでしょう。
達成できない目的を押し付けて「お前は目的を達成できない無能なやつだから切り捨てて当然」というだけの簡単なお仕事を認めてはいけない。