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「人のがんばり」に落ち着くのは、前例主義で効率化による変化を受け入れたくないから

「そういう方法をとることもあるんですが、書留の数が多い場合は印字スペースの関係で受領書がかなり長くなってしまうんです。だから、こちらの用紙にご自身で書いてもらうということで、窓口業務の時間短縮にご協力いただいているんですよ」

 これは読みようによっては「我々は困らないんだけど、受領書が長くなるとお客様が困る。だからそのかわりにお客様自身に書いてもらうことで納得してもらっている」とも読める。

ごく当たり前のように「受領書がレシートみたいに長くなったら、お客さまにご不便をかけてしまう」とあえて電子機器を使わない。

 だからこういう解釈がなされるのは当然の結果だろう。レシートみたいな長い受領書は受け入れられないからなのだ。レシートが領収書の代わりになると言われ続けて何十年。未だに手書きの領収書じゃないとダメっていう会社はたくさんあるのと同じことだろう。
つまり、諸悪の根源はサービス提供側ではなく、サービスを受け取る側のお客様の都合なのだ。

例えば、「30分後にお届けします」というメールを見て慌てて時間変更をしても現在は対応できないが、この第8次システムが導入されれば、リアルタイムで対応ができるという。

 おそらくこのシステムが稼働しても再配達は大きくは減らないだろう。なぜなら「30分後にお届けします」というメールを見ても多くのお客様は時間変更なんてしないからだ。もっとも、個人への配送は「運送屋さんに申し訳ない」という気持ちが働いて時間変更するかもしれないが。

「人のがんばり」を信じてなにが悪い、みんなで力を合わせればどんな逆境も克服できるはずだ、と思う方もいるかもしれない。しかし、大きな変化を前にして自分たちの発想を変えることなく、「人のがんばり」で乗り越えようとしても、残念な結果しか生まないということは歴史が証明している。

 よく言うところの「大和魂があれば竹槍でB29を撃墜する事ができる」を未だにやってるということなのだ。日本人の悪い癖は未だ健在、と言ったところか。いやむしろ郵便や宅配便のような物流に限って言えば、日本軍は兵站を軽視した、考えるのが下手とも言われるが、そのくせもいまだ治らず、と言ったところなのかもしれない。

まずは「ヤマトの荷物を佐川のドライバーが運んでもいい」という新しい考え方を受け入れる必要があるのだ。

 そういう意味では、これは正解ではないと思う。
サービス提供側がいかに工夫をしても消費者が受け入れなければその工夫は使えない。それは冒頭の郵便局でのやり取りにすでに現れている。
「ヤマトが運んでくるはずの荷物がなぜ佐川で来るのか?」と荷受人からクレームを付けられるのがオチである。共同配送のような仕組みができれば今度は荷受人から「運送会社指名サービス」というようなサービスが欲しいと言われてしまうのだ。すでに通信販売などではこのシステムを採用している所が少なくないのは、実際にそういう声があるからなのだと思われる。
必要なことは効率化をすすめるには消費者側も変わるのが当然である、という文化を長い時間かけて醸成していくことなのだ。
ヤマトなら「30分後にお届けします」というメールを送った上で、さおだけ屋や焼き芋屋、廃品回収のように「お近くに立ち寄った時に手を上げて呼び止めて下さい」もしくは「受取スタンバイOKですというメールを送り返す」というような荷受人の意識を変えさせるようなサービスに変化させ、それを納得してもらう努力をすることがサービス提供側に必要な「効率化」だと思う。