日本では命よりお金や責任の方が重い

増税やむなし”の不思議

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日本人の民間個人による寄付が少ないのは、ひとえに日本人がケチで公共性というものを考えたことがなく、政府についてあれこれ愚痴をいいつつも、じつはお上のやることに間違いはないという下僕根性が染みついているせいだ。政府に税金をむしり取られて勝手に使われるのと、自分で寄付先を選んで、自分がいいと思っている使途に供してもらうのとでは、前者のほうがいいと思っているのだ。

一見もっともらしいが、違う。

「お上のやることに間違いはない」ではなく「お上のやることだから責任を取らなくていい」なのだ。

日本ではお金より責任の方が重い。昔は切腹、今は自殺。会社のために自殺する、仕事のために自殺する、責任を取って自殺する。
こういう日本人のなんと多いことか。
アメリカ人が借金苦で自殺するだろうか。仕事に失敗をして自殺するだろうか。まあ、まったくいない事はないだろうが、ついぞ聞いたことがない。

日本人も建前では「命は地球より重い」なんて教育されているものの、実態はそうでもない。お金のために、責任のためにいとも簡単に命を投げ出すのだ。
つまり、お金や責任のほうが命より重いのだ。

これを読んでいるあなたは、なぜ寄付をしないんですか? 政府のお金の使い方に、そんなに満足ですか? 政府に任せるくらいなら、自分で選んだところにお金を流そうと思わないんですか?

「自分で寄付先を選んで、自分がいいと思っている使途に供してもらう」と、そこにお金より重い「責任」が発生する。
お金を寄付したがためにその使い道から効果、社会的意義まで徹底的に問われることになる。

それより「政府に税金をむしり取られて勝手に使われる」ほうがいいのだ。責任を全部政府にかぶせることが出来る。

国会議員の選挙をやっても「投票したい人がいない」と嘆く一方で「自分は立候補しない」という理屈と同じ。
会社の社長や役員をやっても「高給は叩かれる」一方「株主総会で否決されれば即クビ」という立場はアメリカと変わらないのと同じ。
日本企業の外国人社長の高給が叩かれないのは日本人じゃないから「責任はお金より重い」という理屈が通用しない、と日本人が思ってしまうためだ。
そして、マスコミ同様、付和雷同の一員として無責任に政府を叩く側でいていのだ。
そのほうが楽だから。