「解雇解禁」は「労働内容の明確化」と「労基法の厳守」と引き換えだ

新卒やハケンだけを犠牲にすればいいのか?今こそ正社員の「解雇解禁」を

http://diamond.jp/articles/-/9140
 何よりもまず始めるべきことは、正社員と非正規社員の雇用保障を平等にすることです。そして、企業内職業訓練をバウチャー制で行う仕組みの構築です。そして金銭保障など、解雇の際の手続きのルール化です。

 一度大企業の正社員のレールに乗った既得権者にも、事実上の解雇自由を維持したい中小企業の経営者にとっても、「解雇解禁」は受け入れ難いでしょう。

 しかし、このままで最もワリを食うのは、われわれの息子、娘の世代なのです。

言ってる事は至極正論だと思う。
が、一つ忘れてはいないだろうか。
息子、娘の心配は必要だ。
しかし、それ以前にすでにワリを食ってる人が大勢いる。「サービス残業の暗黙的強制」や「有給休暇の暗黙的取得禁止」をさせられている人たちだ。

一方、正社員と非正規社員の差はよくない。「同一労働同一賃金」を目指そうという動きがあることも知っている。しかし、これは今の日本では絶対に同一労働同一賃金の考え方は浸透しないだろう。いや、現実には都合のいい部分だけ取り入れられているといったほうがいいだろう。
なんとしてでも賃金格差をつけるもっともらしい理由が欲しい…いや、正しくは、安い労働力を手に入れる術を残したい、と考えるであろう雇用側は、正規と非正規が同一賃金になると困る。そこで「正社員=経営側の意のままになんでも仕事が出来る人」「非正規社員=仕事の内容が確定しているが賃金の低い人」という使い分けをすでにやっているのだ。つまり「同一賃金にならないように、同一労働にしない」ということだ。

同一労働同一賃金」の考え方が十分浸透していない現状のまま、解雇解禁をやったらどうなるか。

 ならば、補助金で「ゾンビ企業」を生かし続けることをせず、規制緩和によって、再編・淘汰を促し、事業構造改革のための整理解雇を容認することで、社会全体の生産性の向上を図らなければ、政策モデルの整合性はとれません。

この手の論者は「雇用の流動化」でみんな幸せになれる、という発想があるが、これは十分な数の求人数があってはじめて成り立つ話。雇用は椅子取りゲームだ。誰かが椅子を立って、椅子に空きが出てからでないと、次の人が座ることが出来ない。
ところが現状はどうだろうか。椅子が空いたそばから片付けられてしまっている。椅子がどんどん減っているのだ。そんな状況で、今座っている椅子を離れて別の椅子に座ろうと思うだろうか。むしろ、今座っている椅子にしがみつくのは当然である。しからば、それを無理やり引き剥がそうというのが「解雇解禁」である。先に解雇ありきでは不幸になるばかりだ。
企業も同じ。ゾンビ企業をつぶす前に新しい産業なり市場を作ること。すなわち、新しい椅子を作ってから古い椅子を片付けないと不幸になる人が増えるばかりなのだ。幸い、企業は内部留保をたんまりと抱え、有望な投資先ができるのを待っているのだから、そのきっかけ作りを税金でやればよい。

その上で、解雇の話が出てくればよいのだが、雇用契約に仕事の内容の明示されていない現状では、社員がどのぐらいのコストパフォーマンスなのかを測る術がない。つまり、解雇のルールは「オレ様の気分一つ」「会社のために生き、会社のため死ね」ということになってしまう危険性が極めて高い。

かといって、現在すでに正社員として働いている人に改めて雇用契約を結びなおすことをするだろうか。労働側から見た場合、これは単純に「再雇用」ということになり、雇用側が考える「賃金のリセット」を受け入れさせるきっかけになることから、ほとんどの正社員はこれを受け入れないだろう。
受け入れる条件は少なくとも賃金は現状のまま、現在の職務を労働内容とすることだろう。
しかし、これは雇用側が受け入れ難いだろう。どうしても、ということになると、現状の雇用形態に近い「なんでもあり」の職務という雇用形態で契約を結ばせようとするだろう。
この辺の統一的なルール作りが出来るのだろうか?大企業以外は何も変わらない、ということで終わってしまうのではないだろうか。

まずは「雇用契約」「労基法」など、ちゃんと守ることが前提にないと、この話は都合のいいところだけつまみ食いされてしまうであろう。