「給料定額制で時間無制限」と「自由な労働時間」は矛盾する

残業代払わない「ホワイトカラーエグゼンプション」 新年から再度議論始まる見通し

http://www.j-cast.com/2014/01/01192664.html?p=all
この規制を緩和して、深夜や休日にどれだけ働いても割増賃金を払わないことを認めようというのだ。交代制などで働く工場現場の労働者などにはなじまない制度だが、一定の裁量で労働時間を自らコントロールしうるホワイトカラーを対象に、時間外の賃金割増など法律の条文の適用除外(エグゼンプション)にすることから、「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼ばれる。現在でも、働いた時間によらず、決められた給与を出す「裁量労働制」があるが、手続きが複雑なので、もっと使いやすい制度をめざす。

またやるのか…
経営層は何が何でも賃金を出したくないらしい。

で、こういう言葉の言い換えはもうやめてほしい。
×「手続きが複雑なので、もっと使いやすい制度」
○「オブションじゃなくて標準で適用できる制度」
でしょ?

「ホワイトカラーは働き方に裁量性が高く、労働時間の長さと成果が必ずしも比例しない」(経済団体関係者)という認識があり、労働時間に対して賃金を支払うのではなく、成果に対して払う仕組みが必要というわけだ。

ここでも言葉の言い換えがあるので直したい。
×「認識」
○「願望」
だろう。

裁量性が高いホワイトカラーなんて役員クラス以上の人だけだろう。
中間管理職たる部課長クラスですら出勤時間の裁量もないに等しいのに、それ以下の労働者層に働き方の裁量なんて皆無である。
労働時間の長さと成果を問うのであれば、勤務時間とお金(予算)に対して裁量性を持つ人のみを対象にすべきであって、上司にハンコをもらわないと有休も予算ももらえないような人を「働き方に裁量性が高い」と呼ぶのは間違いである。

そして、大きな成果を出すには時間も人もお金もかかる。短時間で少ない投資で大きなリターンなんて、今どき詐欺師でさえそんな言葉は使わない。ローリスクハイリターンで美味しい経営がしたいです、ってはっきり言えば可愛いのに、いかにも労働者のための法律改正です、っていう顔をするから憎たらしく見えるのだ。

今回、推進側は批判を意識して、働き手にもメリットがあると強調する。労働者は仕事の繁閑に応じて働く時間を自由に設定でき、また、長時間働いても残業代が出ないので仕事を早く切り上げようという動機づけになり、残業が減るというのだ。

もう一度言おう。

上司にハンコをもらわないと有休も予算ももらえないような人を「働き方に裁量性が高い」と呼ぶのは間違いである。

労働者に仕事の「繁」はあっても「閑」は無い。

以前社会問題になった「偽装請負問題」を見れば、カネをもらう側に裁量なんて生まれる余地がないことは明白なのだ。

請負採用企業の6割で「偽装」の疑い 連合の調査

http://www.asahi.com/special/060801/TKY200612170201.html
正規従業員と請負労働者が、同じ業務ラインや作業チームで混在して働く職場があるかを聞いたところ、「かなりある」が15.2%、「一部である」が45.1%だった。混在して働くのは、通常は適正な請負とは見なされない。

企業単位で仕事を請け負ってこの程度。
お金があればこその裁量。お金がない労働者に裁量なんて無いのだ。
お金があるから元請けは仕事を下請けに出して、仕事の「繁閑」を作ることも可能になる。
お金をもらう側の労働者個人が「仕事の繁閑に応じて働く時間を自由に設定」「残業代が出ないので仕事を早く切り上げよう」なんていう働き方ができるわけがないのだ。
結果として、元請けの指示通りに仕事をせざるを得なくなる。そこに裁量なんて生まれる余地はないのだ。

http://www.j-cast.com/2014/01/01192664.html?p=all
具体的な制度設計では、労働側の懸念に配慮して、年収1000万円を超える専門職に限る、あるいは条件を予め決めて働く側が希望した場合に限る、などの条件をつけるほか、健康を害するような事態を招かないよう、休日・休暇を強制的に取らせたり年間の労働時間に上限を設ける、といった案もでている。

これではダメだろう。
お金と時間に裁量がある人に限らなければならないのだから、「年収1000万円を超える専門職」という縛りだけでは足りない。この条件に則るならさらに「労働期間が3ヶ月以内で報酬が1000万円を超える専門職」でなければならない。単純に年収1000万円で縛っても、どう逆立ちしても決められた期間内や予算内では仕事が終わらない(成果を出せない)ような仕事を任せられたのでは裁量の余地はない。
「自分でやるより誰かに頼んだほうがもっといい仕事をしてくれるであろう」というタイプの仕事でなければ意味が無いのだが、方向性としてはどうしても「自分でやるより誰かに頼んだほうが安く仕事をしてくれるであろう」というタイプの仕事に適用したいという思いが透けて見えるから反対論が大きくなるのだ。
ホワイトカラーエグゼンプション」が「(給料)定額制で(労働者)使い放題」と言われてきたのはこのためである。

裁量性が高いのであれば「休日・休暇を強制的に取らせたり年間の労働時間に上限を設ける」なんてことを心配する必要はないはずである。ところが、こういう案が出てくる事自体、休日がとれなくなったり過剰な労働時間になることが容易に想像がついているということの証であり、裁量性のない人にも適用したいという狙いがあることの証でもある。

しっかり守られていると言われている正規雇用者ですら「休日・休暇を強制的に取らせたり年間の労働時間に上限を設ける」が守られず「36協定」という抜け道を利用され、「過労死」「サービス残業」「ブラック企業」が社会問題になり、有休の取得日数がOECD加盟国中最低という状況の中で、個人請負に近くなるホワイトカラーエグゼンプション制度で労働環境がこれより良くなるとは到底思えないのである。