学校が成すべきことは「道具は使い方によっては危険なものである」ということを学ばせることだ。

bylines.news.yahoo.co.jp

こういう話になるとすぐに、安全管理がー、責任者は誰だー、っていう話になるのはなぜなんだろうか。

本来、道具というものは使い方を誤れば危険なものである。そこを無視して絶対安全、100%ノーリスク、と言うものを追求しようとするから「サッカーを禁止しろ」「ゴールを固定して動かなくしろ」っていう極論ばかりが通るようになる。
どうせゴールを地面に固定したって、子どもたちは隙を見て外そうとするだろうし、年月が経って錆びたり腐ったりすれば意図せず外れて怪我をする人が出てくる。そうすれば安全管理がー、責任者は誰だー、って騒ぐはずだ。絶対に100%ノーリスクにはならない。こういう輩はどんな事例であろうとも怪我をしたら誰かのせいにする。公園の遊具がどんどん撤去されていった経緯をわかっているのだろうか。それとも、公園には一切の遊具も設置せず、ボールも自転車もペットも持ち込むことを禁止し、子どもたちが自由に駆け回ることを禁止することが公園のあるべき姿だと思っているのだろうか。

どうせ学校特有の事情があるというのなら、子どもたちには「道具は使い方によっては危険なものである」ということを学ばせるべきであり、正しい道具の使い方、こうすると危険だ、ということを教えるべきなのだ。元来、子供の遊びというものは危険であればあるほど楽しく面白いものだ。それを幼いうちから肌で感じ、体で覚えていって大人になり、危険なことから子供やお年寄りを守ることが出来る存在になる。そこをサボって危険なことから遠ざけることが正しい教育なのだろうか。100%ノーリスクなことを求めることが教育なのか?一人のけが人も出さずにつづがなく卒業させることが教育なのか?

文句を言う親側も同じだ。自分にできもしないことを教師や学校に押し付けて偉そうなことを言っては居ないだろうか。あぶないと思うなら、サッカーを禁止するのと同様に、子供を学校に預けるのを禁止すべきだ。学校に預ける以上、ゴールで怪我をするリスクはゼロにはならない。
この手の議論は東日本大震災で発生した原発事故における原子力発電所や、無差別通り魔殺人における包丁やナイフと同じことを形を変えて騒いでいるのと同じだ。100%の絶対安全を求める方は楽だし絶対正義の立場に立てるので文句だけ言いやすい。対策をする側は100%の安全に限りなく近づけることは出来ても絶対安全にはならないのだから、どこまでも文句を言い続けることが出来る。そんなことをいちいち聞いていたら何もできなくなる。