年収800万円でも子育てが難しいのは「我が子を勝ち組にする保証がないから」

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公教育だけでなく習い事費用なども含め、お金がかかると考えているのだろう。少ない子に大きく投資した方が子どもの将来に有効だと、親が考えている表れかもしれない。

 これはそのとおりだろうが…

お金をかければ子どもがよく育つわけではないことも、今後明確に科学的に示す必要があるのではないか

 これは難しいのではないだろうか。
お金をかければかけるほど悪くなる、という科学的なデータでも出てくればお金はかけなくなるだろうけど、そうでなければ限界までお金をかけようと思うだろう。つまり、何故そこまでお金をかけるのか、ということを考えなければ根本的な解決にはならないのである。

では何故そうなるか。

妻と夫の意識の差が正直に現れた。一方で、妻は夫を子育てで頼りになる存在とも考えている。

 肌感覚でも大半の人が感じていると思うが、現実として子育ての担い手は夫より妻のほうに大きくウエイトがかかっている。つまり、子育ては女性主体となっている。一方、昔のように「跡継ぎの男の子が生まれるまで産め」とかいう時代ではない。女性は妊娠という大きなリスクを負うため、少なく産んで大きく育てる事という子孫繁栄戦略を本質的なものとして持っており、男性のように数多く産ませるという子孫繁栄戦略とは逆の方向を向くことになる。

育児にお金がかかるだけでなく、将来が具体的に見えない不安も現れているのではないか

女性の子孫繁栄戦略は、妊娠というリスクを極限まで減らしながら、あらん限りのリソースを限界まで我が子に投資するすることでリターンを極大化することである。そのためには、子供はできるだけ少なく、しかもただ育てば良いということではなく、社会の勝ち組としてポジションを確立し、孫世代以降の子孫繁栄を確固たるものにするという行動原理に基づいた子育てをするようになる。

したがって「400万円あれば生活できる」とか「800万円でも子育ては無理」という絶対額の議論に意味はない。我が子を勝ち組にするためには「過半数の人より多くのお金が必要」という相対的な尺度で判断されることになる。

これが「将来が具体的に見えない不安」の正体である。

つまり、子育て支援と称して「保育料の無料化」とか「育児支援制度」などなど、様々な制度ができることはある程度の負担緩和につながるものの、本質的な解決にはならないのだ。本質的な解決には「我が子だけ保育料の無料化」とか「我が子だけの育児支援制度」という「我が子が勝ち組になるため」のを必要としているからだ。

「妻と夫の意識の差」というのは女性と男性の子孫繁栄の戦略の差であり、我が子に投資をするためのリソース供給源として「妻は夫を子育てで頼りになる存在」という話なのだ。

しかし、今どきこういう話をすると「男女の性役割の固定だ」「男女差別だ」と騒ぎ立てる人がいるのでこういう議論自体が難しくなっていることだろう。