夫婦の姓変更は人間版ARPテーブルと氏名レジストラで。

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クレジットカード、銀行のカード、証券も全部やり直しです。株式の名義変更には、300万円かかりました。後で会社の経理から「名義変更、すごいお金かかりました」と言われて、「ごめん、興味本位だったんだ……」と。

 これらは一過性のものですが、その後も常にコストがかかり続けています。海外出張でホテルや航空券をとってもらう時も、「青野」だとパスポートの姓と異なるから、マイレージもつかない。海外でホテルに泊まり損ねたこともありました。

 姓の変更は「不便」とか「面倒」っていうわかりにくい形での不利益は大抵の人が実感しているところだと思うけど、名義変更で経費がかかる、お金が出ていくとなるとこれはもう実害に近いのかも。

で、こんなことが起きる一番の理由は、個人管理するためのデータの主キーに名前を使っているからなのでは?


だったら、インターネットの仕組みみたいにレイヤーで分けて、L2=MACアドレス=人の遺伝子、L3=IPアドレス=マイナンバーのような管理番号、L7=人の名前=ドメインネーム、っていうように分ければいいんじゃないだろうか、なんて思ったり。

出生届を出すときに、子供の遺伝子を採取して管理番号と紐付けする。人間版ARPテーブルのような感じ。

それと同時に、管理と名前を紐付け。こっちはドメインレジストラみたいな感じ。
これで遺伝子と管理番号と名前が紐づけされる。
あとは、クレジットカードだろうが株券だろうが、すべての財産は名前ではなく管理番号で管理登録すれば結婚して名前が変わろうが、何一つ不自由がなくなるのではないだろうか。

いや、株券の名義変更にお金がかかるほどのお金持ちはそもそも財産を補足されたくないからそんな制度自体受け入れがたいか…うーむ。

でも、管理番号自体を名刺に書いて配ったり、仕事で使うためのメールやSNSで公開するとかすれば、転職したり異動になったりしても個人の追跡が容易なわけで、人脈を途絶えさせないツールだと思えば便利だろうし、逆に人生をリセットしたいときは、役所に管理番号の変更を届け出て、後は必要だと思う財産やサービスの管理だけそれぞれ管理番号の変更手続きをすれば、その苦労は今と同じなので悪くなることはないはず。

これに近いことはすでに「車のナンバープレート」でもやっているわけで、そんなに面倒な仕組みではないと思うんだけどなぁ。

ま、これは夫婦別姓ではなく夫婦の姓を変更しても大丈夫なようにする仕組みなので、夫婦別姓を積極的に進めたい立場の人は嫌がるかな。

我が子も「リセマラ」して「課金」しないと勝てない?

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私は赤ちゃんの家族に食道閉鎖の説明をし、手術承諾書をもらおうとしました。ところが、家族は手術を拒否しました。

 不謹慎だとは思いますが、これを見てまっさきに思ったのが、この家族は「我が子」というキャラをリセマラして作り直したかったのではないか、ということ。

やがて、家族は面会にも姿を現さなくなりました。

 失敗を一つでもしたら、幸せというレールから外れてしまう恐怖と戦わざるをえない日本の社会。五体満足に生まれるのは当たり前、見た目も美しくスタイルよく、潜在能力も優れていてようやくスタートラインに立てる。その上で、親が我が子にどれだけ「重課金」できるかである程度勝負がつく。もちろんそれ以外の要素もあるだろうが、親の能力が高いほど経済力もある、というのが定説となっている。つまり、重課金に耐えられる親は必然的に能力も高いので、子育てという名のゲームをより有利にすすめることができるということになる。

たとえば、障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たちを実際に見てもらえば、赤ちゃんの家族も手術を受けさせる気になったのではないか。

 一流企業で働いて持ち家に住んでいるような人を見せれば手術を受けさせる気になったかもしれない。でもそんな人がいるのか。その辺にゴロゴロ居ますよ、っていうぐらい沢山の人が居ないとこの家族は納得しないような気がする。だって我が子をスマホゲーのキャラと同じ扱いにしているんだから。

恋愛甲子園。男子は2回戦が終わりベスト16が出揃う。

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結婚を意識した交際経験がないのは51.1%。男女別では、男性が62.7%、女性が39.4%だった。

おおざっぱにいえば男性は2/3が、女性も1/3が結婚市場から去っていったといっていいだろう。
これを夏の高校野球に例えれば、甲子園出場校49校が対戦し、男子は2回戦が終了。2/3の学校が敗退しベスト16が出揃ったといったところ。
女子は1回戦が終わり、1/3の学校が敗退し32校が残っている、といったところだろう。

なぜこんなことになるのか。
これは特に女性に言えることだが異性を選択するに当たり「普通(以上)の人がいい」という人が多いことによるといえるのではないだろうか。
つまり、普通以下の男性が淘汰されていくトーナメント戦が徐々に進んでいくということである。つまり、普通以下の男性は敗退、恋愛甲子園を去っていくのだ。

2008年に私はこんなことを書いていた。

keito44.hatenablog.com

今後はエネルギー源としての石油離れ同様、男性側は恋愛対象としての女性離れが進むだろう。

 エネルギー源としての石油離れは実際どうなったかわからない。しかし、男性側は間違いなく恋愛対象としての女性離れが進んでいるということだ。
いや、自ら離れていくだけではない。問答無用で恋愛甲子園に破れ、退場していく男性が次々に発生しているということだ。

男子1に対して女子2。現在の男女のパワーバランスを考えればちょうどいい配分ではなかろうか。もっとも、女子は意地でも妥協せず「普通(以上)の人」を求め続けるだろうから、恋愛甲子園はまだまだ終わらない。

男性の性欲とか性的積極性とかいやらしさの存在意義

b.hatena.ne.jpなかなか面白いコメントが沢山ついているので私なりの印象をば。

一番たくさん星がついているのが以下のコメント。

この人の漫画に違和感を感じるのは、女は(男の性欲によって)可愛くてモテてチヤホヤされてるのが当たり前、みたいな所。そういう女しか女に見えてないのかもしれんが、現実の女の大半はチヤホヤなんてされてない。

多分この方は女性なのかな、って思うけど、「現実の女の大半はチヤホヤなんてされてない」って言う印象は女性としては間違ってないんだと思う。
これって「彼氏いない歴3ヶ月」「ちっともモテない」みたいな話で、これが女性のわりとよくある平均的な印象なんだと思う。
でも、これを見て男性は「たった3ヶ月で次の彼氏ができるのか」「彼氏が3ヶ月いないだけでモテない扱いなのか」「女ってモテるんだな」っていう印象を抱くんじゃないかな、と。


 次に星が多いのが以下のコメント。

性欲がなくなると女は男に優しくされなくなって困るんだぜ!って多いけど、チヤホヤされないデメリットを性的な目で見られたりセクハラや性犯罪に合わなくなるメリットが上回る人は多いと思う

セクハラとか性犯罪に巻き込まれた(と感じている)女性が如何に多いか、ということの表れであろう。
しかし、セクハラというものは「何をしたかが問題ではない」「どう感じたかが問題」なのであって、全く同じ行為を違う男性が違う女性にした場合に受け取り方が違う。いわゆる「ただイケ」みたいな話がまかり通ってしまう話。男性の性欲がなくなればセクハラや性犯罪はなくなるかもしれないが、それ以外のハラスメントがなくなるわけではない。でも、チヤホヤされることは絶対になくなる。つまり、そもそも論として人生のおいてチヤホヤされるメリットがデメリットを上回ることなんて無いのだ。

 

3番目に星が多いのがこれ。

特に結婚とかしたいと思ってない身としては、性欲がない世界の方が、趣味で知り合った異性と警戒されずに仲良くなりやすそうで楽でいいな。/下心がないことを伝えるの難しいよね。「既婚です」が一番強そう。

そして4番目に星が多いのがこれ。

このマンガはあり得ないとして、性欲のない世界の方が異性と仲良くなれる人は案外多いんじゃないかと思った

どちらも性欲がない方が異性と仲良くなれそう、という感じのコメント。
この感覚がわりとニュートラルで男女問わず、男性の性欲だったりいやらしさを悪意と捉えられることがなくていい、ということなのかも。


そして5番目に星が多いのがこれ。

性欲は男の消費行動に大きな影響を与えてはいるんだろうが、現実の女が要望してもいない『性欲無くせ』に対して女に謝らせてるのがムカつく。こうなりたくなければ性差別を受容しろとでもいうのか?

 これは間違いだと思う。
2番目~4番目のコメントが基本的に「性欲なくせ」という方向になっている以上「現実の女が要望してもいない」は嘘。男性の性欲を満たしたいならデメリット以上のメリットを出せと言ってるのが2番目で、お互いに仲良くなるためには男性の性欲はなくてもいいと言ってるのが3番目と4番目。
ところがこの5番目は始末が悪い。
性差別は反対、男性の性欲をなくせとは言ってない(つまり、男性がおごったりホテル連れて行ったりプレゼントしたりするのをなくせとは言ってない)、とおいしいところだけよこせと言ってるのだ。

全体的に思うところは、性差関係無しで仲間同士お出かけしたり美味しいもの食べたり仲良くなれればいいよね、っていう意見が広く浅く積もっている感じ。
男女平等ってこういうことなんだと思うので、目指すべき世の中になってきていると思うんだけど、肉体だけはどうにもならないわけで。

日本の社会は「何かをして失敗する」より「何もしないで失敗しないこと」のほうが良いとされる。積極的な人はウザがられる。
その辺を「受け身である事自体にメリットが有る」女性はどう考えるのだろうか。

医者も人間。働ける時間は8時間。足りないというなら人を増やせ。

総務省が5年前に行った調査では、1週間に60時間以上つまり平日5日勤務した場合は、1日平均で12時間以上働いた人の割合が、医師は41.8%に上り、すべての職種の中で最も高くなっています。

どう見ても労働時間が長すぎる。

厚生労働省によりますと、医師の場合、当直勤務や容体が急変した患者への対応、それに長時間にわたる手術や診療で勤務時間が長くなる傾向にあるということです。

 医師という職業の特性上こうなることはある程度仕方のないことだと思う。だからこそ、普段の労働時間はより短いものとし、いざという時のために温存するぐらいの体制でなければならないと思う。

医師も労働者であり規制をきちんと設けるべきだという意見がある一方で、医師が少ない地域では、規制を厳しくすると必要な治療が受けられない患者が出るという意見もあり

 「医師も労働者」という考え方に大いに同意する。一方「規制を厳しくすると必要な治療が受けられない患者が出る」という考え方は非常に危険だと思う。極端な話、患者を救うために医者は死ね、という意見だ。これまでの「お客様は神様だ」という誤った解釈を地で行くひどい話だ。
これからの時代は「持てるリソースの中で救える人だけ救う」という考え方になっていくだろう。
「みんな揃って共に不幸になる」という悪平等の考え方では納得しないだろう。
ひどい言い方かもしれないが、生まれたての子供と死ぬ間際の年寄りでは命の重さが違うということだ。災害や事故があったときには「まずは女・子供から」と相場が決まっているのは男性より女性や子供のほうが価値が高いという証左である。

「これまでは、長時間の勤務は宿命だと受け止めてそこに誇りを感じる医師も多かったが、今回のような過労自殺を防ぐためには、産婦人科の医師を増やす必要があり、国は対策を検討すべきだ」

 全くもってその通り。医師を増やす以外に道はない。10年以上前からずっと言われ続けていることである。
しかし…

医師の絶対数の不足に対して「一定の手当て」が行われていて、順次、効果が表れてくる

 医師不足の本質は「医師の地域・診療科偏在で、これらの解消こそ喫緊の課題」

 と、日本医師会と全国医学部長病院長会議は相変わらず、医師不足を否定する。
医師不足の数は1000人2000人の桁ではなく、2割~3割、つまり、3万人とか5万人という桁で不足しているのだ。

医師会などは「医師が増えすぎれば過当競争で医療の質が低下する恐れがある」として、医師数を大きく増やすことには反対の立場だ。

医師会は口を開けばすぐこれだ。ならば、コンビニより多いと言われる歯医者の質は落ちただろうか。私の感覚ではNoだ。全く落ちていない。それどころか競争が激しくなってより患者本位の歯医者が増えているとすら感じる。

医療費は年数千億~1兆円程度増えており、「大きな要因は医師数の増加」(印南一路・慶応大教授)という指摘もある。

 医療費を無競争で独占したいから医師を増やしたくないのでは?と勘ぐってしまいたくなる。ましてや、同じ高給取りの職業と言われた弁護士が大幅に増加したことで収入が減ったとも言われている。しかし、裁判が増えすぎて困っているわけではないところに増やした弁護士とは根本的に違う。多忙を極める医療の世界で医師を増やすことはすべての人にとって幸せになれるはずだ。医師会はもうちょっと「市場開放」をすべきである。

時間あたりの費用対効果

現代の若者の生活環境には、画像検索を中心にリアルな「今」の情報が溢れており、常に「見る・見せる・見られる」といった関係性の中で、「積極的なおしゃれ」から「ある程度はおしゃれ」へとシフトしている。こういった“手軽さ”や“簡素化”といったいわゆるコストパフォーマンス(以下コスパ)を重要視する傾向はファッション業界に限定されたものでなく、衣食住どのジャンルでも顕著だ。

 これは確かにそのとおりだと思うけど、一つ大きく欠けている要素がある。
それは「話題性」だ。
洋服でも履物で果物でもなんでもいい。消費するありとあらゆるものについて回る「話題性」「ネタ度」といった、俗に言う「インスタ映え」して「SNSでいいね」をもらいやすい「共通体験」を産む消費財であるかどうかという視点である。

果物は、野菜と異なり嗜好品の扱いを受けることも多く、その機能性や健康増進への評価、信憑性の薄さがある上に価格も安くはなく日持ちもしない。

 コスパの良し悪しを計る上で今までは「機能性」「健康」というような評価軸しか無かったので、食べれば健康になるということパフォーマンスに対してどのぐらいのコストをかけられるか、ということだけ考えていればよかったわけだが、今は違う。「インスタ映え」して「SNSでいいね」をいかに貰って「共通体験」をするかが大事なのである。

学生時代からコンビニを多用する生活を続け“手軽さ”に囲まれて育った世代は特にコスパに弱い。

 コスパだけ考えたら、コンビニより安く物が買えるスーパーのほうがコスパが良いはずである。しかし、実際はそうならずコンビニのほうが多用されている。つまり、金銭的・経済的負担をコストと考えるのは間違いだということになる。流動性が高い情報化社会の只中で若者なりに常に気を張って生活している。選択肢が莫大に増えるなか、周囲の流れに置いていかれまいと右へ左へと能動的に動く中で時間的・金銭的余裕も削られている。果物摂取量が年代に比例する理由はやはり「余裕」の違いなのだろうか。

 「余裕」が金銭的・経済的なものではない。もちろん全く無関係というわけではないが、スマホを2年毎にホイホイと買い換える経済力やスマホアプリに課金するだけの経済力はあるのだ。よって「果物摂取量が年代に比例する理由」は金銭的・経済的なものではない。
では、何が原因なのか。それは俗に言う「インスタ映え」して「SNSでいいね」をもらって「共通体験」しやすい消費財かどうかということだ。
流動性が高い情報化社会の只中で若者なりに常に気を張って生活している」ので、情報の鮮度が何よりも大事である。流れる情報の「消費期限」が年代に比例して長くなっていくのだ。20代なら24時間、30代なら48時間、40代なら72時間、と言った具合だ。
これ以上時間が経つと情報が古くなってしまい「インスタ映え」して「SNSでいいね」をもらって「共通体験」できなくなってしまうのだ。

どんなに良いものを買っても24時間で腐る。どんなに高いものを買っても24時間で腐ってしまう。もしそんな消費財があったら積極的に買うだろうか。どうせ24時間で腐っちゃうんだからと考えて、お手軽なものや、そこそこのもので済ませようとするだろう。

昭和世代が思い描く「若者が欲しがるはず」の高級車やブランド物の洋服に見向きもしないはそういうことだ。
ではなぜ果物を買わないのか。それは「インスタ映え」せず「SNSでいいね」をもらいにくいからだ。

どこでも売っている果物でありながら、産地や店によって味が大きく変わる果物は「美味しかった」という共通体験を得にくいのだ。これは果物に限った話ではない。スーパーで売ってる生鮮食料品は総じて共通体験が得にくい。

それに対してコンビニで売っているものはある程度統一された品質であることから「セブンイレブンの」「ローソンの」というような枕詞をつけることで共通体験が得やすいのだ。

だから「セブンイレブンのハンバーグが美味しい」とか「ローソンのケーキが美味しい」という会話が「インスタ映え」して「SNSでいいね」をもらって「共通体験」しやすい商品ということになる。
逆に言えば、スーパーやコンビニに依存しないほど統一された品質のものを全国津々浦々に提供できるナショナルブランドの商品は「インスタ映え」して「SNSでいいね」をもらって「共通体験」しやすいということになる。ビールやカップラーメン、スナック菓子などがそうだ。

お金と時間の貧困化によって、若者がコスパを重要視せざるを得ない、という現状が若者を果物から離れさせる一つの要因かもしれない

若者は忙しい。昔よりも時間がますます貴重になっている時代。情報の鮮度が話題性の鍵を握り、コミュニケーションの肝になる時代。
話題のものをいち早く捉える力が必要になってくるし、更に上を目指す人は自分が情報の発信拠点になりたいと思う若者も少なくないだろう。
若者にとってのコスパとは、モノが持つ機能や効能ではなく、限られた短い時間でいかにたくさんの話題を提供できる能力を持っているかどうかがコスパの良し悪しの基準なのだ。

雑誌が売れない、だから付録で釣る。
音楽CDが売れない、だからおまけで釣る。
テレビがつまらない、だから録画してCMを飛ばしたり早回しで見る。
限られた短い時間でいかにたくさんの話題を知り、保持できるかどうかが大事だからこそ、こういう行動に出るのだ。つまり、モノが持つ情報を増やしたり、知るための時間を減らすことでコスパを上げるのだ。
逆に、昔のように車を買って1年中車の話をしたり、ブランド物のバッグを買って1ヶ月間ずっとブランドの話なんてしない。情報の消費期限が極端に短い現代、大金をはたいて大きな買い物をすることは最もコスパの悪い消費行動なのだ。
つまり、昔はコスパ=コストパフォーマンス=パフォーマンス/コスト=費用対効果だったのが、今はコスパ=パフォーマンス/コスト/時間=時間あたりの費用対効果という概念に変わってきたということなのだ。
だから、耐久消費財が売れなくなり、リースやレンタル、シェアでいいや、ということになっていくし、季節ごとのファッションですら時間が長すぎてパフォーマンスが落ちるということなのだ。

「人のがんばり」に落ち着くのは、前例主義で効率化による変化を受け入れたくないから

「そういう方法をとることもあるんですが、書留の数が多い場合は印字スペースの関係で受領書がかなり長くなってしまうんです。だから、こちらの用紙にご自身で書いてもらうということで、窓口業務の時間短縮にご協力いただいているんですよ」

 これは読みようによっては「我々は困らないんだけど、受領書が長くなるとお客様が困る。だからそのかわりにお客様自身に書いてもらうことで納得してもらっている」とも読める。

ごく当たり前のように「受領書がレシートみたいに長くなったら、お客さまにご不便をかけてしまう」とあえて電子機器を使わない。

 だからこういう解釈がなされるのは当然の結果だろう。レシートみたいな長い受領書は受け入れられないからなのだ。レシートが領収書の代わりになると言われ続けて何十年。未だに手書きの領収書じゃないとダメっていう会社はたくさんあるのと同じことだろう。
つまり、諸悪の根源はサービス提供側ではなく、サービスを受け取る側のお客様の都合なのだ。

例えば、「30分後にお届けします」というメールを見て慌てて時間変更をしても現在は対応できないが、この第8次システムが導入されれば、リアルタイムで対応ができるという。

 おそらくこのシステムが稼働しても再配達は大きくは減らないだろう。なぜなら「30分後にお届けします」というメールを見ても多くのお客様は時間変更なんてしないからだ。もっとも、個人への配送は「運送屋さんに申し訳ない」という気持ちが働いて時間変更するかもしれないが。

「人のがんばり」を信じてなにが悪い、みんなで力を合わせればどんな逆境も克服できるはずだ、と思う方もいるかもしれない。しかし、大きな変化を前にして自分たちの発想を変えることなく、「人のがんばり」で乗り越えようとしても、残念な結果しか生まないということは歴史が証明している。

 よく言うところの「大和魂があれば竹槍でB29を撃墜する事ができる」を未だにやってるということなのだ。日本人の悪い癖は未だ健在、と言ったところか。いやむしろ郵便や宅配便のような物流に限って言えば、日本軍は兵站を軽視した、考えるのが下手とも言われるが、そのくせもいまだ治らず、と言ったところなのかもしれない。

まずは「ヤマトの荷物を佐川のドライバーが運んでもいい」という新しい考え方を受け入れる必要があるのだ。

 そういう意味では、これは正解ではないと思う。
サービス提供側がいかに工夫をしても消費者が受け入れなければその工夫は使えない。それは冒頭の郵便局でのやり取りにすでに現れている。
「ヤマトが運んでくるはずの荷物がなぜ佐川で来るのか?」と荷受人からクレームを付けられるのがオチである。共同配送のような仕組みができれば今度は荷受人から「運送会社指名サービス」というようなサービスが欲しいと言われてしまうのだ。すでに通信販売などではこのシステムを採用している所が少なくないのは、実際にそういう声があるからなのだと思われる。
必要なことは効率化をすすめるには消費者側も変わるのが当然である、という文化を長い時間かけて醸成していくことなのだ。
ヤマトなら「30分後にお届けします」というメールを送った上で、さおだけ屋や焼き芋屋、廃品回収のように「お近くに立ち寄った時に手を上げて呼び止めて下さい」もしくは「受取スタンバイOKですというメールを送り返す」というような荷受人の意識を変えさせるようなサービスに変化させ、それを納得してもらう努力をすることがサービス提供側に必要な「効率化」だと思う。