セクハラを防ぐためにオフレコ取材は温泉や銭湯で行うべき

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セクハラはしてはいけない。こんなの当たり前。
でも、これって心の何処かで「セクハラは男性が女性にするもの」っていうベースがどこかにあるんじゃないかと思ったり。

麻生太郎財務大臣

だったらすぐに男の番(記者)に替えればいいだけじゃないか。なあそうだろ?

と言ったと書いてある。
男性なら割と普通に思いつく発想なのではないだろうか。女性に危害が及ぶような現場に出さないほうがいい、と。

男性であろうと女性であろうと、記者としての仕事に真剣に取り組みたい。セクハラが嫌なら男の記者に替えればいいという論理では、女性記者が活動する場は制限される。

 これもまた当然の話しである。女性だからといって活動する場が制限されていい訳がない。
とはいえ、男性からすると「戦争は危ないから女性や子供は行かないほうがいい」とか「港湾運送や土木作業は大変だから女性には向かない」と思うだろう。
これを「心遣い」と受け取るか「差別」と受け取るかは女性次第であり、男性はその良し悪しをコントロール出来ないのだ。セクハラも同様で、セクハラは何をしたかが問題ではなく、相手がどう感じたかが問題だ、とよく言われる。この流れが先鋭化したものの一つに「痴漢(冤罪)問題」がある。これもまた、事実とは無関係に「この人痴漢です」と女性が男性を訴えれば、事実上これで終結する。だからこそ冤罪問題も発生する。悪いのは痴漢をする人だ、といえば聞こえはいいが、現実には痴漢は簡単にはなくならないだろう。だからこそ「女性専用車両」というものが出来た。
記事中で引用されている小島慶子のツイートに

私は、今回の件で「では女性を現場に出すのはやめよう」「女性の取材を受けるのはやめよう」となることを心配しています。それは女性記者は記者である前に性的な存在であるという眼差しを強化するだけです。

 とある。
しかし男性からしたらセクハラを避けるためには「女性の取材を受けるのはやめよう」とするだろう。女性記者は記者である前に女性であるという事実から目をそむけることは出来ないし、セクハラという概念が自分の行為によるものではなく相手の感情によるものである以上、セクハラを自律的に避けることは困難だからである。
セクハラという概念はある意味「悪魔の証明」に似たものであり、やってないことの証明を相手に委ねるしか無いのに、その証明ができない以上はやったことになるというものだからである。

財務省事務次官という公的な立場に置かれ、更にそれなりの権限を持ってる人間であれば不要なトラブルは確実に避けたいと考えるだろう。となれば「女性記者の取材お断り」ということも十分考えられるのだ。
もし女性官僚が「セクハラされる恐れがあるため男性記者の取材お断り」って言ったらどうなるだろうか。おそらく多数の男性が差別だと思いつつ、女性をセクハラから護るためには仕方がない、と考えるだろう。それはトイレや更衣室、温泉や銭湯などが男女別になっていることと同じであると理解し、官僚である前に女性である、ということを尊重した結果だと考えるからである。

4月4日、福田氏から呼び出され、取材のため飲食をした際にもセクハラ発言があったため、途中から録音を始めた。

 つまり、男性官僚側が呼び出す際は飲食ではなく温泉や銭湯で行えばよい。そうすれば「女性記者お断り」と異性を意識的に排除する必要もなく、ほぼ裸になるので録音する機材やメモ帳の類を持ち込むことも難しくなるし、持ち込めばすぐに分かるので信頼関係を壊すこともない。もちろん女性官僚側が取材を受ける場合も同様である。