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デジタル放送の暗号化に疑問の声が相次ぐ、総務省の検討委員会

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/12/27/18031.html

主婦連合会の河村真紀子委員は、「B-CASカードによるスクランブルの仕組みを破ることは大変難しいと伺っていたが、説明を聞く限りでは簡単に破られたように思える。こんなものだったら、この仕組みにこれまでかけたコストはなんだったのかと思う」と発言。

生活経済ジャーナリストの高橋伸子氏も、「今回この仕組みが破られたことで、それを防ぐために新しい仕組みを導入しようといった話になると、また膨大なコストが発生するのではないか」と懸念を示した。

この手の話はお約束どおり「スクランブルをかけると誰が得をするのか」という観点から当たればいいわけですが…

 デジタル放送のスクランブルについては、権利者の側からも疑問の声が挙がった。実演家著作隣接権センターの椎名和夫氏は、「スクランブルを外すことなど権利者が承知するわけがないなどと言われることもあるが、コピーワンスの時と同様に、スクランブルの導入についても我々は一切関与していない」と説明。
(中略)
こうしたことから、椎名氏は「この際、スクランブルは解除する方向で話をしていけばいいのではないか」と述べ、スクランブル解除の方向での検討を求めた。

 日本音楽事業者協会の堀義貴氏も、「権利者がスクランブルで権利保護をしてくださいとお願いしたことは1回もない」と述べ、技術的な方法だけで権利が守られるとは考えていないと説明。

権利者側の立場は「スクランブルいらない」〜「中立」ぐらいですかね?

 これに対して放送事業者の側からは、「地上デジタル放送が始まった4年前に、我々が取り得る手段は(スクランブルという)技術エンフォースメントだけだった」という説明がなされ、今後はこうした技術的な手段をどこまで制度的な手段で置き換えられるかといったことも含め、議論を進めていくとした。

スクランブルが欲しいのは放送事業者だけだっていう事ですね。
とはいえ、iTMS(現iTS)がアメリカでサービス開始したのは2003年のはずなので、音楽と映像の違いはあるが、当時としてもスクランブル以外に手段はないという理屈は苦しい。

放送事業者からすれば「自分のところを通らないと広く世間に広まらない」という仕組みを維持したいはずなので、当然といえば当然。
流通チャネルをメーカーサイドが徹底的に管理して大もうけしている自動車業界と、小売側に主導権がわたってしまってメーカーがひーひー言ってる電機業界を比べれば、コンテンツの新たな流通経路が出来る事は是が非でも避けたいと放送業界はいうはず。そして、その仕組みをより強固にするためには「権利そのものを保持してしまう」というストーリーもまた当然の戦略。著作物の流通に関する生殺与奪の権利を放送業界が握っておきたい。そのためのスクランブルに過ぎないのだから、スクランブルがあろうとなかろうと、ネット配信を目の敵にするのもまた当然の戦略とはいえよう。
もっとも、現代人は家族団らんなんてものすら崩壊しかかっているぐらい忙しいので、のんびりテレビなんぞ見ている場合ではないのだ。せっかく「録画してでも見てやろう」「後世に取っておいてやろう」というやる気の高い人の気持ちをそぐような仕掛け作りばかりやっているんだから文句が出て当然。

(日本音楽事業者協会の堀義貴氏のコメント)
問題なのは機器よりも出回っているコピー商品の方であり、こうしたコピーを売ったり頒布したりする行為への対策を強化していくことが重要だと訴えた。

これが現実的な解かと思われる。