「開かれた新聞」委員会委員に聞く(2)

http://www.mainichi.co.jp/20080720/0720_08.html

 私は数年前からネットの負の側面に警鐘を鳴らしてきたが、今回の件はネット社会の落とし穴がどこに隠れているかわからないことを示唆するものだ。ただ、失敗に対する攻撃が、ネット・アジテーションによる暴動にも似た様相を呈しているのは、匿名ネット社会の暗部がただごとではなくなっていると恐怖を感じる。この問題はマスコミのネットとのかかわり方の教訓にすべきであろう。

他人の振り見て我が振りなおせ。

問題を「マスコミとネットの関わり方」なんていうところに持って行くあたり、この問題の本質をちっとも分かっていないだけじゃなくて、相変わらずネットを敵対勢力扱いしている証拠。

確かにネットの反応は過激かもしれない。
でも、これは今までマスコミがやってきたことと同じ事をしているだけ。事件・ニュースを必要以上に面白おかしく扱ったり、必要以上にしつこく貶めたり、必要以上に劇画・漫画・ドラマ風味に仕立ててきた事を、その印象のまま「お返し」しているだけなのだ。

個人がいえなかった事をマスコミが「代弁」する。個人が知りえなかった事をマスコミが「知る権利」と称して「代わりに知る」。今までは情報がマスコミを通さないと知ることも訴えることもできない「ボトルネック」だったのだ。どんな業界、どんな商売でもそうだが「ボトルネック」は美味しいポジションなのだ。そこがインターネットに崩された。マスコミはもう「第4の権力」「天下のマスコミ」「庶民の代表」ではない事を受け入れるべき時が来たのだ。
そして、極端な批判をして一般市民に「痛快感」「カタルシス」を感じさせられるのはマスコミだけの専売特許ではなくなったと言うことだけなのだ。そこを批判するのなら、まずはマスコミが自ら事実に基づいた報道のみに専念すべし。