「美人過ぎる」八戸市議の評判 水着写真集に批判、後援会「解散」

http://www.j-cast.com/2008/09/25027514.html

「美人過ぎる」と評判になった青森県八戸市藤川優里議員(28)の周辺がゴタついている。藤川議員の後援会長がトラブルを理由に「もうついて行けない」として後援会の「解散」を明言。これに、藤川議員の水着姿を盛り込んだ写真集やDVDが出されることが明らかになり、八戸市役所に抗議が相次いで寄せられ、地元でも「大ひんしゅく」状態なんだという。

ま、これだから田舎モノは…って言う典型例だな。うちのあたりは八戸よりはるかに田舎だから良く分かる。こういう飛びぬけた行為は絶対に支持されない。
都市部に住んでいる人からすると信じられないことかもしれないが、田舎の有権者と言うものは往々にして自縄自縛になってて始末が悪い。
生活を良くしたいと考えているのにお金を稼ぐのは良くないことだと思ってみたり、過疎化が進んでいるのに企業誘致はけしからんと思ってみたり、地域を活性化したいのに派手な活動は良くないと思ってしまう。
考え方が非モテと同じ。「今のままの自分を愛して欲しい」っていう輩ばっかり。
この市議の武器はなんと言っても美貌だろう。それを文字通り一肌脱いでがんばったのに全否定。後援会の面子も年寄りが多いだろうから「若い女が水着になるなんて破廉恥だ!」ぐらいの感覚なんだろうし、市議たるもの後援会の御用聞きに徹していればいいものを、ぐらいの感覚なのだろう。
政治離れといわれて久しい。民主主義の根幹は多数決にある。大なり小なり政治団体を作って自分の意見を通りやすくするほうがいいはずなのに、実際はそうなっていない。なぜか。1つ1つの社会問題について、それぞれ考えが違うはずなのに集団で同一の意見になるはずがない、と考えてしまうからではないだろうか。日本人の理想は、1つ1つの法案、条例について議員一人ひとりが団体に拠らず、ベストを尽くして欲しいと考えるからだと思う。
この市議は後援会という団体に拠らず自分なりに行動し、自分なりのベストを尽くした。しかし、旧来の政治団体に所属する人から見たら、このやり方は、自らの哲学、方法論に反する。だから反発してしまう。しかし、この市議とは無関係な第三者的な立場から見ているひとはなにも悪いことはしていない、何が悪いんだ?っていう感じだろう。この感覚を理解できなければ、後援会の人たちは既に一般市民ではない、ということになろう。今、田舎は議論している時はとっくに過ぎた。手元に残った数少ないタマを使って、全力で現状打破する行動する時間なのだ。