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子育てを企業化できるか

を見た。
まともな感想や分析はほかの人がきっと誰か書くだろう。
私はひねくれたものの見方で、ブログのタイトルどおり「あさってのほう」に考えてみたいと思う。

私が見て思った対立点は2つある。

1つが家庭vs企業。

家庭の側面から考えた場合、一般市民の間から出てくる言葉は「家のローン」と「子育て」の問題。

「家のローン」に関して「残業しないとローンが払えない」なんていう人は、悪いけど即刻家を売り払うべきだと思っている。
早い話が分不相応。身の程を知れ、ということだ。周りが買っているから、とか、親の世代は買えたから、自分も買えるはずだ、買っても何とかなるはずだ、とは思わないことだ。
もう右肩上がりの時代ではない。

そして、借金をしてまで家を買っているくせに、物価上昇(インフレ)反対なんて言ってしまう。どうかしていると思う。物価上昇したほうが借金返済しやすいのに。
デフレで喜ぶのは資産がたんまりあるお金持ちやお年寄りだけだ。住宅ローンを背負っている一般庶民は損をする。しかも、家。数千万円のお買い物。下手すると一生涯で稼ぐ賃金の1/4ぐらいが家だけで消し飛んでしまう。 百歩譲って、土地付の一戸建てなら、例え二束三文になったとしても土地が残るが、単なる空間に過ぎない30年か50年経てば藻屑と消え去るマンションの一室を家計ぎりぎりで買ってしまう神経が、正直私には理解できない。

生活設計は「残業なしでやっていける」程度に押さえ込むべきなのだ。それが身の程。

都市部では車を買うのをやめたり、高い車を捨てて安い車に乗り換えたり、売却する傾向が出てきているのはいい傾向だ。

あと、最近気になるのが携帯電話。
一家4人、父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんと姉ちゃんで一人1台ずつ計4台。一人1万円、家族合計4万円とか平気で支出している人がいる。

本当に必要なのか?

子供に携帯を持たせたいだけなんじゃないのか?よく考えて見るべし、と思う。

一方「子育て」の話。

学費が高い。もはや学力云々ではなくなって、金持ちしか進学できない状況が近づいている、って言うのが実感。
公立の学校は大学まで含めてもっと安くていいんじゃないか?学力は国家の財産。目減りすることなく次世代へ引き継ぐことができる。エネルギー資源を持たない日本では絶対に必要な「資源」なのに、そこにお金をかけないのは国力衰退につながる。


企業の側面から考えた場合、もう散々言われているけど、つまるところ問題なのは製造業。製造業は臆面もなく「派遣使って国内生産」or「海外生産」の二択しかない、と言い切ってる。
裏を返せば、技術革新や新製品で新しい価値を見出そうという考えはない、あくまで価格で勝負する、ということであり、他社の後追いで安く上げて稼ぎを得ようという考えしか持っていない、ということなのだろう。
悪い例を挙げれば、iPodしかり、ネットブック(5万円PC)しかり。良い例をあげればDSしかり、Wiiしかり、プリウスしかり。
日本の製造業は、後追いが有利、とずっと言われ続け、先行者のアイデアをちょっと変えて、ちょっと安くして先行者の利を横取りしてきた時代が長かった。
その結果、誰も先行したくなくなった、ということだろう。
産業の構造から考えると、先進国たる日本がいつまでも第2次産業である製造業に重きを置いていていいのか?という素朴な疑問がわく。
もっとサービス業にシフトすべきじゃないのかなぁ、と。

あとは農耕民族たる日本人の特徴(弱点?)なんだろうけど、
「自分の目で良いものは良いと評価する力」「新しいものに取り組む力」「モノやサービスに適正な価値を認める力」
を今一度鍛えなおすべきではないだろうか。
日本のものが海外で評価されて初めて日本でも評価するようになるとか、同じ製品でも有名企業のブランドのほうを有難がるというのは、すべて自分なりの評価軸を持っていないということの裏返しだろう。

で、番組中に出てきた、ワークシェアリング派の中小企業の社長と、従業員の奥様との会話。

「首切りはしたくない。ワークシェアリングをして雇用を守る代わりに給料を下げる。これが飲めないなら辞めてくれ」というようなことを社長から奥様方に訴える。

「どっちも嫌」「家のローンがあるから困る」と若い世代の奥様方。
一方、年配の奥様は「歳だから雇ってくれるだけでもありがたい」と。

家のローンは削れても、子育て世代は子供を育てる費用を削ることはできない。
それを企業なり国が負担することができるか、という事になるわけですが、企業が負担するなら、つまるところそれは人件費であり、国が負担するならそれは税金である。どこからかお金が沸いて出てくるわけではない。
子育ては将来のお客を育てることでもあり、人材を育てるということでもある。
しかし、いまは「(賃金の安い)人が足りないなら外国から連れてくればいいじゃない」と移民の必要性を説いているくせに、「日本はこれから人が減って市場が小さくなるから新興国に進出して稼がなければならない」と逆のことを言う。

これ、どこかで聞いたことがある論法だ。そう、食料自給率と農業問題の関係に非常に良く似ているのだ。

「(価格の安い)食料が足りなければ外国から輸入して来ればいいじゃない」と輸入の必要性を説きながら、「日本の農業は国内需要だけじゃダメだ、輸出で稼げるようにならないと」と逆のことを言う。

つまり、人も農産物も育てる気なんてさらさらないのがいまの企業経営。必要なのはわかってる。でも儲からないからオレはやりたくねー、だれか貧乏くじ引いてオレたち企業のための食い扶持を作れ、といってるわけだ。で、先進国は大抵農業に補助金をたくさん出している。そのおかげで農産物は安い。しかし、間接的には税金でまかなっているのだから、法人も個人も相応に負担をしているということになる。
しかし、日本では「農業も企業のように経営しろ」という方向に向かいつつある。知識の継承や資産の統合という意味ではこの方がいいと思うが、企業経営としての農業が成り立つのか?という根本的な疑問が残る。
これはそのまま子育てにも当てはまる。子育てが企業経営として成り立つのか?という議論に行き着く。企業化した場合、その価値判断は、数千万円の養育費をすべて差し出すから、すべての子育てについての面倒を見てくれ、その代わり、有名大学卒業から一流企業への入社まで保障しろ、という事になるだろう。こう考えてみてもやはり一部のお金持ちのためのサービスにとどまるのは間違いない。しかし、いまの日本はこれを議論し、なんとか企業化できる理屈を探している状態だろう。どこまでいっても、儲かることは企業へ、損することは個人へ、という流れは変わりそうにない。リスクは広く浅く分散させればそれでいいのか。