広告プール制で放送エリアの撤廃を

ラジオ:ネットで聴取「ラジコ」 予想以上の好調

http://mainichi.jp/select/today/news/20100515k0000e040050000c.html
 ラジコのサイト上で実施したアンケートには約2万通の回答が届き、事務局は「予想以上の好調」。「ラジコで、ラジオを聴くようになった」「今後もずっと利用したい」などの声が寄せられている。

 エフエム東京小川聡ゼネラルプロデューサーは「ネットのパワーを改めて実感している」と話す。電通ラジオ局の担当者は「ラジオは聴取者コミュニティーができやすい。はがきのやりとりとツイッターのやりとりも似ている。古くて新しいメディアだ」とネットとの親和性を説明する。気に入った曲をパソコンですぐ検索できるため、ネット広告とも連動しやすいという。

ここまで「ネットとの親和性」を実感しているのだから、ラジコはぜひとも全国放送化してほしい。
ネットは基本的に全世界共通だ。そのネットの世界と「県域放送」などという2桁違いのスケールの小さいものとがうまく馴染むはずがない。
ネットはラジオとの親和性が高いのではない。ラジオがネットとの親和性が高いのだ。分かりにくいが要するに「ネットが主」「ラジオが従」の関係だ。そこで初めてはがきという古いメディアからツイッターという新しいメディアまで、いろいろなメディアで「あのラジオ面白い」「こんなネタあるよ」という情報が飛び交うのだ。しかも、そういうシーンは携帯電話を中心に進んでいくだろう。
つまり、携帯電話のIP網でラジオを聴き、ツイッターでつぶやき、メールで投稿する、という具合だ。ラジオはFMやAMの電波を受信するものではなくなる。ゆえに放送エリアというもので制限を設けるのはラジオ局にとっても何のメリットもない。リスナーを減らすだけの効果しか生まれないのだ。

しかし、このての話をすると放送業界側の人間はすぐに「地方局がー」という話を持ち出し、現在のビジネスモデルを守ろうとする。それほどおいしいビジネスモデルなのだろうが、ラジオ自体が広告媒体として機能しなくなってきた今、もう一度リスナー本位にもどるべきだろう。

一番良いのは地方局につぶれてもらうことなのだが、地方からの情報発信拠点自体が無くなることは良くないだろう。幸か不幸か、地方局の多くは1県でAM/FM各1局だ。つまり、県内での競争は事実上ないといってよいだろう。これは地方におけるJRや高速道路とよく似ている。

一方、ラジコはリスナーの地域をわざわざ判別して、関東と関西以外の人には聞かせないようにしている。裏を返せば、都道府県単位ならある程度判別が付く技術はあるということだ。
だったら、広告収入は全国の局でプール制にして、アクセス数にあわせて地方局に比例配分すればよいのではないだろうか。これなら当面は地方局も食べていけるはずだ。
しかし、これだと「情報発信する地方局」という役割は大幅に減るだろう。しかし、キー局のコンテンツを左から右へと流すだけで儲かるというビジネスモデルはおかしい。せめて、積極的に広告を取ってくる地方局の方が利益が大きい、という状態にするべきである。つまり、プール制とはいえ、広告を取ってきた局には厚く配分する仕組みが必要であろう。

とはいえ、放送エリアで比べた場合、3000万人の人口がある関東地方と100万人以下の人口しか居ない小さな県1つで同じ商売が成り立つわけがない。どうしても地域ごとに区切るとしてもJR6社や高速道路3社ぐらいの地域に統合すべきだ。NTTも地域会社は東西2社に分かれているが東西にわかれたその意義はあまり見出せておらず、むしろ全国統一で1社になるべきという声が多い。つまり、情報通信の世界で都道府県というくくりは小さすぎるのだ。全国組織でAM1社、FM1社、というくくりで十分機能するし、そのほうがネットとの親和性がより高くなるだろう。YouTUBEは世界レベルで同じコンテンツを楽しむ状況になりつつある。壁になっているのは「言語」という壁だけなので、同じ英語圏同士の人ならアメリカでもイギリスでもオーストラリアでも同じコンテンツが楽しめるしツイッターでそのことをつぶやくことも出来る。ニコニコ動画でも、同じコンテンツを日本全国の人が楽しんでコメントをつけて楽しんでいる。都道府県の壁なんてないのが当たり前なのだ。

そして、もうひとつ、地味だけど案外重要なことがある。電波を飛ばす必要がなくなればキーとなるラジオ局は東京に居る必要がない。もちろん芸能人がフェイストゥフェイスでトークをする必要がある番組はどうしても東京に集まる必要があるだろう。しかし、ラジオなら声だけ通ればいいのだから、一ヶ所に集まる必要性もない。番組制作者が全員地方の遠隔地に居てもいい。ラジオという全国レベルの情報発信の拠点が地方にあってもいいのだ。情報発信源が東京に偏りすぎ、という状態も少しは緩和できるだろうし、意識の上でも「情報は東京から出てくるもの」「新しい情報は常に東京から」という感覚が変わらないと、東京という地が「約束の地」になってしまい、そこに安住してしまい新しい発想が出てこなくなってくるだろう。

同じことがテレビでもおきたら、もしかすると東京スカイツリーは「戦艦大和」になるかもしれない。