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セックスも消費活動の一部として扱われている。

若い男がセックスを嫌う理由は費用対効果を考えた結果と識者

http://www.news-postseven.com/archives/20110205_11818.html
「行動する前に“それで何が得?”って考える人が多いですね。ある意味賢いんですけど、費用対効果を考えて無駄なエネルギーを使わないようにしています」

ここで言う「無駄なエネルギー」って何ぞや?と言うことになるわけですが…

端的に言えば、セックスに至るまでの時間や金銭的負担ということになるのですが、事はそれだけではない。目に見えにくい要素として「コミュニケーション」が挙げられよう。

高度成長期。世の中は商店街にある八百屋さんから野菜を買い、肉屋さんから肉を買う生活をしていた。そして、このときに必ずといっていいほど店員さんと世間話をし、「信頼関係」という名の元、お客さんが買う商品は店側の見立てで決められていた。
ここがポイント。
今はスーパーやコンビニで客が自ら陳列棚に並べられている商品を品定めし、気に入ったものを手に取り、レジでチェックを受ける。世間話はしたくなければ黙っていれば良いという関係だ。このような消費行動標準的となってから何十年と続いている現在、恋愛関係やセックスに至る関係がいまだに商店街で買い物をするようなスタイルのままなのである。

手間隙かけてようやく手に入れたセックス。その中身が買う側による吟味ではなく、売る側のさじ加減で決められてしまっているのだ。

常連さんにだけいい顔をする店だったり、客によって贔屓をする店、高圧的な態度を取る店、失礼な態度を取る店、売ってやるといわんばかりの店、などなど。普通の消費活動なら「こんな店二度と来るか」と言うことになり、そういう店は淘汰されるわけなのだが、恋愛やセックスに関してはそうはならない。
不景気が長引く現代の一般的な消費行動は「必要なもの以外は買わない」「気に入ったもの以外は買わない」というように、モノを買うこと自体への興味はすでに失せており、思い入れがあるものや役に立つもの、コストパフォーマンスが高いものでなければ買わないのだ。恋愛やセックスも同じ。しかし、こういうセックス相手は少数だ。必然的に供給不足になり、セックスの価格は高くなる。高くなりすぎて手が届かないものになってしまえば、興味が失せるのは当然のことなのだ。

それでも、わずかながら光はある。
同じ商品が商店街とスーパー・コンビニで同じ値段で売られている場合、客は往々にしてスーパー・コンビニに向かうことになる。
これは何故か。

セックスで得られるのが性欲の解消だけなら「オナニーしたほうがラクじゃん」というのが、「面倒くさい」派の思考回路なのだ。

消費活動で得られるのが必要なものを手に入れるだけの事ならどこで買っても同じはず。
しかし、客がスーパー・コンビニを選択すると言うのは、商店街のお店で買った場合、コミュニケーションが発生し、何を買ったか、何が好みか、どんな生活をしているか、といった個人情報が店側に知らず知らずのうちに蓄積されていくことになる。これは十分な信頼関係が成り立っていれば非常に快適な人間関係を築けるのだが、そうではない場合、個人のライフスタイルや趣味趣向、家族構成など出来れば知られたくないと思う情報を店側に握られることになる。これが「面倒くさい」の正体。

セックスの場合、売る側が商品だけでなくこういった情報も握ることになるため、買う側は物を手に入れるまでに非常に大きなストレスや不安を抱くことになる。弱みを握られるんじゃないだろうか、足元を見られるんじゃないだろうか、無知に付け込まれるんじゃないだろうか、騙されて変な物を買わされるんじゃないだろうか、と。

スーパーやコンビニでモノを買う場合、お店同士が十分な競争関係になっている上に、客が自ら品定めをすることが出来るため、納得したうえで商品を買うことが出来る。さらに、店員さんはお客のプライバシーにそれほど興味を持っていないため、弱みを握られることもない。
つまり「あとくされのないセックス」が求められていると言うことなのだ。

日本の風俗産業が盛んなのも、日本人が海外に旅行に行くと羽を伸ばして現地の人とセックスしちゃう事例は数多く聞かれる。これもあとくされのないセックスを求めている証拠なのではないだろうか。