社会の鵜飼になるにはどうすればよいか

就職人気「ベスト10」はすべて金融機関 このままでは日本経済の活力失われる?

http://www.j-cast.com/2013/03/05168012.html?p=all
日本経済新聞社が2014年春卒業予定の全国の大学生を対象に調査した就職希望企業ランキングによると、第1位に日本生命保険、2位が東京海上日動火災保険、3位に第一生命保険と、保険会社が並んだ。それどころか10位まで、すべて金融機関なのだ。

金融機関って、会社が危機になっても国が助けてくれるし、そこまで行かなくても救済合併とかで助かるイメージがあるからねぇ。
ビジネスモデル的にも、外国為替だとか資源の高騰だとか天候不順だとか、ある意味防ぎようのない外敵撹乱要因も少ないように見えるから、安定しているイメージがあるかも。

学生の皆さんは金融機関に入って、いったい何を望んでいるのだろうか、などと思います」と話し、銀行などの「黒子」が目立つ社会では活力が失われると嘆く。

主役より黒子のほうが美味しいって気がついたんだと思うなぁ。

海外勢との競争激化や業績悪化に伴うリストラ報道が相次いだこともあってか、とくにトヨタ自動車やホンダ、ソニーパナソニックといった人気上位の「常連」だった自動車や電機メーカーの凋落ぶりは目を覆いたくなるばかり。日経のランキングでは、トヨタが41位、ソニーが60位、パナソニック77位、ホンダは83位だった。

「海外で活躍したい」という学生が目指した大手商社も、いまは三菱商事が20位、三井物産が29位に登場するのがやっと。ANAグループ(11位)や旅行会社のジェイティービー(19位)もベスト10圏外となった。

おそらく、トヨタソニーでも、車作ったり電気機器を作ったりしない職ならそう簡単にはリストラされないのではないでしょうか。
黒子役。すなわち、総務であるとか人事であるとか、いわゆるバックオフィスの方が美味しいということがわかったのだ。
主役たる製造部門や開発部門が頑張れば、会社としての業績があがり、自分の給料も上がるかもしれない。
逆に、会社の業績が下がれば首を切られるのもまた製造部門や開発部門、ということになりやすいだろう。

商社は海外が危険だとか、メーカーは競争が厳しいとか、食品は営業職がキツイとか

これが案外当たったりする。
つまり、最前線に出て行っても、その労苦が報われることなく、使い捨てられることが人生にとって一番危険だということがわかっているので、ここを何とか避けなければならない。安全に行こうと思えばどうしても消去法になってしまうだろう。
この手の仕事につく人を「ソルジャー」「兵隊」などと呼ばれるのも頷ける話。本物の戦争でも同じだ。兵隊がいくら戦地で頑張ってもせいぜい10人か100人程度の敵を倒す程度だ。上官にだけ許されているミサイル発射の権限の前では、出せる成果に決定的な違いがある。成果主義とは、成果が出にくい仕事をいかに他人に回すか、という争いでもあるのだ。
そういう意味では銀行や保険会社は会社まるごとバックオフィスみたいなものだし、他人のお金で稼ぎを生み出すという意味では自分自身で原資を生み出す必要がないということになる。
もっと広い意味で言えば、1次産業である農林水産業は一部の人を除けば非常に低迷している。儲けが少ないのだ。それより食料は誰かに任せて2次産業である工業で飯を食ったほうがまだマシだ、ということ。しかし、これも今キツくなってきている。と、なればものづくりは誰かに任せて、3次産業たるサービス産業に、ということになるが、サービスを自ら行う人は往々にしてきつくて儲かっていない。チェーン店のオーナーや、有期雇用のアルバイトなどより、それを使う側のチェーン店本部やその社員のほうがいい生活をしているということ。
つまり、「鵜飼いの鵜」になってはいけないということだ。
それに気がついた学生たちが「社会の鵜飼い」である銀行や保険会社に殺到した、ということだろう。
そういう意味で、究極の鵜飼いは公務員だ。「公僕」なんていいながら、なんていうことはない、国民の税金で食べている人たちだ。大量の鵜に支えられた鵜飼いそのものである。一番安定した生活を送っているのは公務員であることに異論がある人は多くはないだろう。
これからも新卒の大学生たちは、鵜飼になるにはどうすればよいか、という行動原理で就職活動をするだろう。

体罰も恋愛禁止も追い出し部屋も「達成できない目的」を押し付ける理不尽である

体罰の根っこにある 「理不尽に対する耐性」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kanekotatsuhito/20130201-00023284/
いまはどうだかわからない。だが、10数年前、その大学のサッカー部ではグラウンドを整備するのは1年生の仕事だった。米国からの帰国子女として入学した青年には、それが理解できなかった。なぜそんなことをしなければならないのか。サッカーの上達とはまるで無関係ではないか――。

まったくもってその通り。「サッカーの上達」とグラウンド整備は無関係だ。でも、グラウンド整備は誰かがしなければならない。そこで下っ端たる1年生にだけ押し付ける。1年生である限りグラウンド整備を終えるという目的は達成できない。1年間じっと耐え、2年生にならなければ達成できない目的を押し付けられる。これが理不尽なのだ。

仲里依紗、AKBの恋愛禁止に反論

http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/02/03/0005715992.shtml
仲は「なんか普通に恋愛できないのってかわいそーじゃない?皆1人の人間なんだからそれぐらいするわ!生きてんだからさ。アイドルだって人間なんだから。テレビの前だけでアイドルやってればいいと思う」と同情。

まったくもってその通り。芸能活動は仕事をしている時だけやればいい。休みの時はただの人だ。でも「アイドルは処女」みたいな妙に神聖視されている幻想を守るため、プライベートな時間や考えを持つことは許されない。芸能活動をちゃんとやればそれで良い、という目的を達成するだけではダメで、滅私奉公の精神でプライベートまで犠牲にして人生の全てを捧げなければならない、という達成できない目的を押し付ける。これが理不尽なのだ。あげく、理不尽な目的が達成できないと丸坊主にさせられる。

「追い出し部屋」の背景と対策

http://diamond.jp/articles/-/30895?page=5
 業績の悪化で解雇したい対象が増えてきたこともあって、こうした自己都合退社実現のための器を各社が用意することになったのだろう。表向きには、仕事がある先への人事異動であって指名解雇ではないが、心が折れて自主退社したくなるように社員を仕向ける仕組みである。
 人間の心を痛めつけることを手段として用いるのだから、「嫌な感じ」のやり方であることは間違いない。大企業の悪知恵ともい言いたくなる。

これも同じである。クビは切りたいが簡単には切れない、そこで、達成不可能な目的を押し付け退職させる方向に仕向ける。

根っこはみんな同じなのだ。
仕事に対して達成すべき目的を明確にしない。理屈じゃないんだという精神論でまくし立て、人間形成だとか「道」だととかいう言葉で本来の目的を曖昧にする。
ホリエモンは「法律に触れない限り許される」といって怒りを買った。
朝青龍は「勝てばいい」と言って大鵬に「勝てばいいは間違いだ」と指摘された。
自分で自分を戒めるのは良いだろうが、他の人から戒められる理由はない。ましてや、他人の人生を潰すところまで踏み込んでいいのか、ということだ。

「目的達成のためには手段は選ばなくてよい」とまで言うつもりはないが、押し付ける方は明確な目的があってやっている。押し付けられる方だけが理不尽という不公平な立場で行われているのだ。

体罰も監督やコーチという安全圏にいる人達からの体罰があり、AKBの恋愛禁止も事務所やプロデューサーという安全圏にいる人達からの押し付けルールが有り、追い出し部屋も人事や経営側という安全圏にいる人達が行う仕組みがある。
つまり、人が持つ能力を最大限に活かそうというプラスの発想ではなく、自分のポジションを守るために弱そうなやつを理不尽でもなんでもいいから適当に難癖をつけてイジメよう、というマイナスの発想なのだ。

イジメはあるが祝福する文化のない日本

http://wirelesswire.jp/london_wave/201302010745.html
次に嫌だなあと思ったのは、法律でも何でもない理不尽な決まりを破った人間は、こうやって公衆の面前に曝して、心理的にいびってよい、という考え方を助長している様に感じたからです。丸刈りになった方は別に法律違反をしたわけでも、犯罪を犯したわけでもありません。雇用契約がどうなっているのかもしれませんが、雇用契約違反だとしても、公衆の面前で恥ずかしめを与える必要などありません。こっそり処理すれば良いでしょう。

それに、このグループのルールが、「仕事のために私生活を犠牲にして当たり前」が前提になっている、というのは、すべてを会社に捧げるのが当たり前、という日本の滅私奉公の考え方そのままであります。そういうビジネスモデルだから、とは言っても、昭和的な価値観は今の時代に合っていないのです。エンターテイメントだって、何が社会を良くするのか、考える責任があるのではないでしょうか。儲かるなら何をやってもいい、というのなら、武器商人や麻薬密売人と同じです。

まさにこういうことなのです。

労働裁判所での審理は原則公開なので、会社名も何もばれてしまいます(日本の労働審判制度や「あっせん」は非公開です)有罪になったら大変な賠償金を支払うことになります。それに、本人が訴えなかったとしても、人権団体や女性団体が黙っていないかもしれません。

体罰や恋愛禁止、追い出し部屋というような理不尽なことをやるからには、やる側にもそれなりのリスクと覚悟を背負ってもらわなければならないでしょう。安全圏にいる上の立場から対等な立場に降りてもらわなければ不公平というものでしょう。
達成できない目的を押し付けて「お前は目的を達成できない無能なやつだから切り捨てて当然」というだけの簡単なお仕事を認めてはいけない。

「仕事をさせて頂く」のに「報酬はあげさせて頂く」にならない不思議

教員の早期退職 やはり残ってほしかった

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130125/edc13012503060000-n1.htm
 埼玉県では2月から県職員の退職手当を減額する条例が成立し、3月末に定年退職を迎える教員1297人のうち、学級担任を含む110人が1月末での退職を希望した。勤続35年以上のモデルで退職金2520万円のところ、3月末まで働けば、140万円が減額されるという。

 小さな額ではない。同情すべき点はある。それでも生徒の存在を無視した駆け込み退職には、違和感を持たざるを得ない。

私はこの感覚の方に違和感を持たざるをえない。
140万円もの退職金を減らされるとわかっていて「辞めるな」なんて平気な顔して言っちゃう精神のほうが危険だと思う。
やめて欲しくなければちゃんと報酬を出すべきだ。「嫌ならやめろ」って言っていいのは「代わりはいくらでもいる」時だけなのだ。

教員の駆け込み退職調査 下村文科相「許されぬ」と不快感

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130124/edc13012414280006-n1.htm
「責任ある立場の先生は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてもらいたい。許されないことだ」

短期的には、先生の代わりはいない。
その責任ある立場の先生には、その誇りに見合った報酬をちゃんと出すべきである。退職金に関するルールは守れ、でも、退職に関するルールは破って良い、なんて話は筋が通らない。

介護の人手不足深刻 1060人募集も来場110人…香川

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=71705
まんのう町の医療法人の人事担当者(66)は「優秀な人を選びたいが、選べるほど求職者がいない」とこぼした。

求人をする側は大変だろうが、人が足りない側は「選びたい」なんて偉そうなことを言ってはいけない。
「同情すべき点はある。それでも働く側の存在を無視した求人には、違和感を持たざるを得ない。」

事業所側には「人材確保には、国の介護報酬改定による待遇改善が急務」との声が根強いが、一朝一夕には進まない。

いつまでも「介護を受ける側の都合」で報酬を決めるからこういうことが起こるのだ。
「責任ある立場の介護職は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてもらいたい。許されないことだ」
っていつまで言い続けるつもりだろうか。

子育てが儲かる仕事にならないと少子化は解決しない

日本は、なぜ少子化に敗れたか

http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/642a4306e87890ddce8d7a619129c2d9
本コラムでは、少子化を緩和するため、0〜2歳の乳幼児に月額8万円を給付することを提案している。大概の人は、この額を聞くだけでギョッとする。現在の児童手当は1.5万円だから、その5倍以上という「常識外れ」の額だからだ。しかし、乳幼児の保育は手がかかり、保育士1人は子供を3人までしか看れない。3人分の給付で保育士を雇えるぐらいの対策をしないと、意味あるものにならないのである。

コラム主は、月額8万円という額は「常識はずれ」と言いながら提案しているが、非常にバランスの取れたいい額だと思う。二人育てれば月額16万円だから、これだけで細々と生活していけるし、三人育てれば月額24万円だからそれなりに余裕のある生活ができるのではないだろうか。
こういう話をすると得てして「保育代が高すぎる」という話が出てくるが、こういう人は保育する側にも生活があることを忘れてはいないだろうか。消費者として保育してもらう側に立ったときはできるだけ安く、サービス提供者として保育する側に立ったときはできるだけ高く、と、ものの考え方がダブルスタンダードになっていてはこの問題は解決しない。
月額8万円の給付は0〜2歳に限らず、義務教育が終わる15歳までやってもいいのではないだろうか。そこまで給付しておけば、将来お金が一番かかるであろう高校、大学への学費にも備えることができるだろう。
月額8万円を15年、つまり180ヶ月支給すると一人頭1200万円になる。少なめに見積もって1年間に100万人の新生児が生まれると仮定しても15年間で1500万人になる。毎年1500万人の未成年者に月額8万円=年額96万円を支給すると年間で14兆4千億円も掛かる仕組みだが、現状でも年金に年間50兆円以上給付し、医療費に年間30兆円以上給付しているんだから、ちゃんと回る仕組みが出来れば決して無茶な数字ではない。
これをそのまま予算化し、税金で穴埋めしましょう、増税しましょう、といってもいいんだろうけど、それだけでは「税金を払ってでも子育てしないほうがリスク回避になる」「税負担をしても子育てするよりは得だ」にという話に突き進んでしまう可能性があり、こうなってはダメなのだ。お金は子供を産まないし、お金は子供を育てることはできない。子育てに汗をかく事が必要で、その労苦に報いる制度が必要なのだ。
コンビニやファストフード、居酒屋チェーン店のように、国がFCのフランチャイザー(本部)になって、若年層を子育てショップのフランチャイジー(加盟店)に仕立て上げ「名ばかり店長」として馬車馬のごとく子育てをさせ、本部たる自分たちは汗をかかず税金や保険料と言う名の「ロイヤリティー」を吸い上げ、本部は一切汗をかかない・リスクを負わないというシステムでは、子育ての成り手がいなくなるのは当然の結果である。
コンビニのオーナーが見つからない、FC店のオーナーが見つかりにくい、と本部が嘆いているのと本質は一緒なのだ。
また、国民負担という話が出てくると、そこから得られる利益も国民全体で得るべき、という話が出てくるのだが、それでは「フリーライダー」と呼ばれる人を減らすことはできないだろう。
コンビニやファストフード、居酒屋チェーン店で働くアルバイトに、もっとお客さんが増える知恵を出せ、客単価が上がるアイデアを出せ、と言いながら、賃金は据え置きだったり、お店の利益や貢献度に見合った賃金にならないようでは、知恵もアイデアも出さなくなるのは当然であるように「少子化は国全体の問題だからみんなで頑張って解決しましょう」、でも「少子化解決の利益は特定の人だけが享受します」ではダメなのだ。
こういう話をすると、昔は貧乏でも子沢山だった、という人がいるが、労働環境の違いを無視している人が多い。子沢山だった時代はサラリーマンが少なく、農家が多かった。つまり、通勤に時間を取られることもなく、自営なので好きな時間に自由に子育てに戻ることができた。しかも、機械化が進んでいなかったので、家族の中で労働力が増えることは「儲け」につながったのだ。だから、人手を増やすために子供をたくさん産んだのだ。農家では労働力として優れている男児を優先させたのも、人手不足になっても外部から人を雇うという発想がないのも、労働力にコストパフォーマンスを最大化させるために子沢山だったのだ。この辺の事情を忘れてはいけない。
この辺の感覚は実は現代でも変わらない。
現代でも子育てが自分の利益につながるならば喜んで働くだろう。
つまり、子育ての負担は国民全体でも、利益は子供を育てた人に集中させ、「子育ては儲かる」と言われるぐらいにならないと「自分が一番」「おしゃれな生活」といって憚らない大人の心には響かないだろう。
少子化の問題は高齢化の問題である。各方面で言われているが、少子化している当の子どもたちは特段困っていない。困っているのは、子どもたちに寄りかかろうとしている高齢者なのだ。それ故、少子化を解決するには「年金制度を廃止すればいい」という意見が必ずでてくる。これは賦課制度により所得が若年層から高齢者層に移転することに対する不満が大きいからだろう。この不満を取り除くには、若い世代の子育てに対する自分の労苦が歳を取った時に還元される仕組みになれば良いのだ。これはフリーライダーも防止できるので一石二鳥だ。
では、具体的にどうすればよいか。子育てという労働を年金保険料の代わりできることを認めれば良いのだ。子供を育てている間は年金保険料や健康保険料を免除し、子育て行為そのものを労働による保険料の代わりとみなすのだ。さらに露骨なことを言えば、たくさんの子供を育てた人にはたくさんの年金が給付されるようにすればいい。給付額は子どもと同じ、一人育てると月額8万円。二人育てれば月額16万円で細々と暮らしていける額であり、三人育てれば月額24万円と、ゆとりある生活が送れるようになる。子育て二人だと現状維持だが三人なら人口増に貢献したことになる。この差は決して小さくないだろう。これらの負担は子育て以外の世代が行うことになるが、人口が増えれば増えるほど負担率は下がる。
この制度の肝は「金を払って労苦を回避する」ことを良しとしないことだ。老後に金銭的に楽な生活をしたかったら、子育てという社会貢献をしなさい、というメッセージを込めることができる。厚生年金なら企業と個人が保険料を折半しているのだから、社員の子供が増えれば増えるほど企業負担が減ることになるから、インセンティブも働く。つまり「子育ては儲かる」ようになるのだ。
大人に育った子供は、子育てに掛かった以上の富を生む。社会全体としては儲かるのだから、子育て給付金のシステムは破綻しないはずだ。

狼は生きろ、豚は死ね

学歴から職歴へ

http://agora-web.jp/archives/1485540.html
これこそが、正に待ちに待たれた人事施策と諸手を挙げて賛同したい。経済の停滞する日本に取っての喫緊課題は、労働生産性の画期的な向上を図りつつ、社会の落ちこぼれ(失業)を防ぐ事と考えるからである。

正社員を4,300人削減し、パートを6,800人増員との話故、差し引き2,500人の新規雇用創出となる。失業者が2,500人減る勘定である。

失業者が減ると諸手を挙げて賛成している割には

仮に売り上げが未達となれば、利益だけでも達成せねばならない。その為に経費削減は避けては通れない。早い話、アルバイトを減らしその分店長の頑張りでカバーする事になる。一日12時間労働で一か月休みなしと言うのも充分あり得る話である。

売り上げが未達となればアルバイトを減らすと自分で言ってますね。これって要するに失業って事だよね?
諸手を挙げて賛成したくなるほど失業者が減るはずだったのでは?

ヨーカ堂が正社員を減らしてコンビニを増やすことでクビになるアルバイトが2500人位現れるだろう。差し引きゼロ。
いや、コンビニ同士の競争が激しくなって一店舗あたりの売り上げが分散するから、アルバイトを雇う余力をもつコンビニはセブンイレブンが増やした店以上に減るだろう。つまり、クビになるアルバイトは2500人では済まないという事になる。

一日12時間労働で一か月休みなしと言うのも充分あり得る話である。

甘いわー地獄のミサワがあきれる位甘いわー
「充分あり得る」なんていうレベルじゃないよ。売り上げが未達になったら1日12時間じゃ利かないし、それでいてヨーカドー時代の収入にはるかに及ばないだろう。
ヨーカドーからセブンイレブンの店長に振り向けられた人はいずれ独立した事業者として扱われる事は間違い。ここまでいけばこの後どうなるかはもはや語るまでもない。税金や保険まで自己負担という事になる。コンビニのオーナーが集まりにくくなっている原因がすでに知れ渡っているから、転籍させて人件費を軽くしながら自社でオーナーを供給して「生贄」を増やす一石二鳥の手法なんじゃないかと推測してしまいたくなる。

売り上げを伸ばす為には、「商品の品揃え」、「商品の陳列」、「店内の導線」、「アルバイトの顧客対応」、そして「店の雰囲気」に店長は絶えず気を配らねばならない。

コンビニ店長にこれらを自由にする権限が実質ないことは、ヨーカ堂の社員が一番よく知るところだろう。仕入れや品揃えの自由を奪うのがコンビニ本部側の旨みの源泉である事も分かっているだろう。わかった上で転籍させられる社員は脱サラなんかでコンビニ経営を始めた人以上にモチベーションが上がらないのは目に見える。
つまり、昨日まで「鵜飼」だった社員が明日から「鵜」になるのだ。

今回のイトーヨーカ堂の改革は「学歴」や「学歴」に依って獲得に成功した「正社員」と言う地位が価値を喪失し、代って個人の職務履歴と資格に裏付けられた「能力」が重視される時代の到来を予告するものと受け取っている。

こういう事を言うと騙される人がたくさん出てくる。
「これからは学歴の時代じゃない」という出だしで始まるキャッチコピーは昔からあった。しかし現実はどうか。
大学の増加と少子化があいまって進学する人の割合が増えている。

これからは「学歴」に加えて「職務履歴」の時代になる。いや、もうなっている。
新卒で正社員の椅子に座れなかった人は二度とその椅子には座れないのだから、仮に学歴が良くても職務履歴でふるい落とされるようになる。
つまり、高学歴な人はヨーカ堂みたいな職務履歴として認められるどころか傷が付きそうな企業には入社しなくなると言う事なのだ。もっとも、当のヨーカ堂自体が正社員を減らしたがっているのだから、新入社員も大して欲しくないと言うことなのだろう。

競争は激しければ激しいほど、良いものが生まれてそれにお金を出し、経済という名のパイが大きくなる…と信じている人がどのぐらいいるんだろうか。

「この度はセックスをさせて頂きまして誠に有難うございます。」これで楽しい?

アダルトビデオ大国日本でセックスレスが多い謎

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120806/wlf12080608000001-n1.htm
そして実際、西欧人の恋人同士は自分の性的な好みや感じ方をとことん話し合うし、身体でも確かめ合う。

これは日本人には無理だろう。
「空気を読め」「相手の心を察しろ」「阿吽の呼吸」「息を合わせる」というのが日本の文化。会話せずとも相手の心を理解し、しかもそれを先回りして実行する事で相手に喜びを感じてもらわなければならない。そこに輪を掛けて女性は「愛されてこそ女冥利」「女ははっきりと言わない」「相手に察してもらうように仕向ける」ことがイイ女だとすら思っている節がある。お互いにコミュニケーションをして良いところを探り合うのではなく、相手の出方でその人となりを計るのだ。これは女性に限った話ではない。いわゆる「草食男子」もこの方が美味しいポジションでいられるからこそ草食をやっているのだ。

セックス体験、早まる女性…30代15%童貞、男性「萎縮」の悪循環

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120514/wlf12051410330010-n1.htm
未婚者の性体験率は、男性の方が長らく高かったが80年代以降男女差が縮まり、ここ10年ほどは、10代では男性よりも女性のほうが体験率が高くなっている。こんな状況では男性は、体験豊富な女性から、もしうまくできないと軽蔑されるのでは、他の男性と比較されるのではと、心配は小さくないようだ。

女性がこうした「黙秘」「徹底的な待ち」の姿勢をする以上、どうすれば軽蔑されずに済むかと大いに悩むのが男性である。ところが、悩めば悩むほど女性に手が出なくなる。かくして童貞はいつまでたっても童貞のままと言う事になる。しかし、性欲はある。未経験なりに事態を打開したい。その解はアダルトビデオしかないのだ。現実的ではないセックスがそこには描かれているのは百も承知。しかし、他に頼りになるものはこの世に存在しない。さらに、アダルトビデオには女性の思いとは無関係な、男性がやりたいようにやるセックスが描かれているのだから、こういうセックスがしたい、と思うようになるのは必然なのだ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120806/wlf12080608000001-n3.htm
よいセックスをしたいならば、AVからは距離をおこうと心がける。男性たちにはそうお勧めしたいと思うのですが、いかがでしょうか。

これは順番が違う。
ここで言う「よいセックス」とは何だろうか。恐らく正解はこうだ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120806/wlf12080608000001-n3.htm
 AV女優のような反応をしないといって男性が女性を非難したり、女性にとっては苦痛な行為を行うなど、男性がAVから受け取る思い込みの弊害は、女性がかねてより指摘してきた。女性が求めるのはふれあいや関係性なのに、男性にそれが通じないというしばしば聞く悩みも、自己完結的な妄想世界の肥大と関係があるだろう。

AV女優のように反応をしなくてもよく、女性が何も言わなくてもすべてを理解し、愛を感じさせてくれるふれあいやぬくもりのあるセックスだ。
男性もおぼろげには分かっているだろう。良いセックスをするためにはAVから距離を置きましょう、と。AVから距離を置こうと言う事は、もっともっとセックスは女性本意にやりましょうという事だ。それがきっと男性にとっても良い事のはずだ、女性が喜ぶセックスは男性にとっても喜びを感じるはずだ、と。

セックスレスは日本の国民病? 明治大学文学部准教授・平山満紀

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120505/wlf12050507000000-n1.htm
 セックスレスという言葉がまだなかった高度経済成長の頃、男性がセックスを主導し女性は随うべきという考え方や、女性に植え付けられた性についての罪悪感、羞恥心はとても強かった。夫婦のセックスは愛情表現だという理念は謳(うた)われていたが、妻たちは拒む主体性を認められていなかったので、妻にとっては義務という意味合いが強かった。

この頃はセックスレスなんて言葉はなかった。十分な数のセックスが行われていたことだろう。
「男性がセックスを主導し女性は随うべき」「女性に植え付けられた性についての罪悪感、羞恥心」「妻にとっては義務」
ここがキーワードだろう。これを男女逆にしたらどうなるか。
「女性がセックスを主導し男性は随うべき」「男性に植え付けられた性についての罪悪感、羞恥心」「夫にとっては義務」
まさに現在の性生活、性文化そのものである。男女逆にすれば結果も逆になるのは当然だろう。
ましてや男性は「女性をいかに満足させるか」と呪いのように言葉を浴びせられ続け、男性が持つ強さや攻撃性は悪である、女性が持つ優しさは善であると社会から男性性が否定され、結婚後の夫婦生活は「夫の奉仕活動」「妻側のセックス拒否は正当な権利で夫側のセックス拒否は離婚理由になる」と、男性側の肉体的性から社会的性まで全否定の世の中である。同じ仕事をしても女性だとほめられ、同じ犯罪を犯しても男性だときつい罰が下される。

つまり、セックスレスとは「男性の主体性レス」と同義なのだ。セックスレスを減らしたいと思うのなら、男性にもセックスの楽しみを与えてはどうだろうか。楽しみを享受するのは女性の権利であり、楽しみを与えるのは男性の義務である。その義務をありがたいと思いなさい、喜びとして感じなさい、とどうしようもない事を言い続けてきた結果がこのザマなのである。

いまの世の中は「仕事はさせていただくもの」という、どこをどう間違ったらこんなひねくれた奴隷根性になるのか理解しがたい考え方が隅々にまで蔓延っている。男性にしてみればセックスも同じだろう。「この度はセックスをさせて頂きまして誠に有難うございます」とでもいわなければならないぐらい卑屈になっている。こんな卑屈でつまらないセックスをするぐらいなら、AVを見て自己満足した方がはるかにましだと思うほうが健全なのではないだろうか。

企業には「10年清算制」を

国家戦略会議の「40歳定年制」に賛否両論 安易な大胆リストラ助長も

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120802/ecd1208020500000-n1.htm
報告書も「現在の60歳定年制は企業に人材が固定し、新陳代謝を阻害している」と指摘する。定年後、新たな知識を得たうえで同じ企業で働くケースもあれば、経験を生かして起業したり、民間非営利法人(NPO)に関わることなどを想定しており、「イノベーションが必要な産業を受け皿にすべき」(新浪社長)との声は強い。

「企業に人材が固定し、新陳代謝を阻害している」と言うのだったら、経営側が労働側を切り捨てる制度だけ導入するのは不公平だろう。切り捨てる側の経営側も40歳になったら退くべきだ。もっとも、40歳で経営側になると言っても「名ばかり管理職」の課長職が圧倒的に多いだろうから、不公平だと言ったところで経営側はあまり痛くないだろう。
正社員が持つ「60歳定年制」を「既得権」「新陳代謝を阻害する」と言うのであれば、社員を切り捨てる側にも新陳代謝を進めるために貢献をしてもらわなければなるまい。
「同じ企業で」といってるが、それでは新陳代謝にはならない。単に賃下げのための口実である。高級官僚の天下り禁止を唱えている人に対して「経験を生かせる企業に天下りするのは当然である」と返答する人と同じ理屈だ。本気で新陳代謝を進めるのであれば新たな就職先は「起業」「NPO」だろう。しかし、起業がいかに難しいものであるかはいまさら語るまでもあるまい。
イノベーションが必要な産業を受け皿にすべき」と言ったところで「じゃお前が起業してみろ」といわれるのがオチである。
「起業しやすくするにはどうすれば良いか」と言う話は「人材の新陳代謝を促すにはどうすればよいか」という話と同じである。
「人材の新陳代謝を促すには、クビを切りやすくすれば良い」と経営側はいつも言っている。ならば、答えは一つ。
「起業しやすくするには、廃業しやすくすれば良い」ということだ。
儲かっている起業だろうがなんだろうが、廃業してもそれが有望な市場なら開いた穴を埋める企業が必ず現れるはずだ。
人材の流動化を高めれば雇用が改善し、賃金が上がるだろう、なんて言ってる有能な経営者は快く廃業に応じてくれるだろう。新しく興す会社は必ずや企業体質がよくなり利益がアップするはずなのだから。
じゃあ、いつになったら廃業すればよいか。
最近は企業の寿命が短くなり「企業10年説」なんて言われるようになって来ている。実際はもうちょっと長いだろうが、美味しいところを残すと言う意味では10年で一区切りつけるのが良いタイミングだろう。10年で会社を強制的に清算。利益があれば株主だけでなく従業員にも山分けすべきだろう。それを元手に起業するのも良いだろうが、普通に考えればそんな馬鹿な事はしないだろう。清算して他人の手に渡るぐらいなら、その前に使っちゃえ、と考えるのが企業と言うものだ。内部留保をたんまりと抱えさせることなく強制的に他のところに投資をせざるを得なくなる流れができるだろう。そうなれば起業ごと新陳代謝が発生し、時代にあった企業が成長し、消えるべき企業は10年で消え去る事になる。
正社員に40歳定年制を望むなら、企業も新陳代謝のために10年で強制的に消え去る覚悟を持って欲しいものだ。