ワークシェアリングと呼ぶな、「給料シェアリング」と呼べ

ワークシェアリング導入は賛成、でも給料が減るのは嫌――ネットエイジア調査

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0902/03/news059.html
 「企業がワークシェアリングを導入することについて、あなたはどう思いますか」と聞くと、「賛成(賛成である+やや賛成である)」は51.0%、「分からない」は27.8%、「反対(やや反対である+反対である)」は21.2%と過半数が賛成している。

最近話題(?)の「定額給付金」みたいな調査結果。法案は反対だけど、給付されたら貰う、みたいな感覚と同じだな。一般大衆レベルでの「総論賛成各論反対」
ワークシェアリング」という言葉のニュアンスは「学校週五日制」と同じにおいを感じる。これだって「学校週休二日制」と呼べばいいものを、先生が一般の公務員と同じように週休二日制で休みたい、という本音を隠すために「学校週五日制」と呼んだのと同じだ。

ワークシェアリングは文字通り「仕事を共有」することだ。この言葉だけ聞いたら給料についての言及はない事になっている。しかし、真の目的は「給料シェアリング」。早い話が給料の全体枠を増やしたくないという事に尽きる。しかし「ワークシェアリング」という言葉を聞けば、日々忙しく働いている一般のサラリーマンは「少しは仕事が楽になる」と真っ先に思い込んでしまう。平均的には残業分を誰がにやって欲しい、という感覚だろう。1日に4時間以上残業する猛者も少なくないと思うが、定時でしっかり帰っちゃう奴もいるだろう。まぁ、いいところ平均で1日2時間の残業、すなわち、2/10=20%程度の仕事と残業代ぐらいは譲ってもいい、という感覚だろう。

しかし、だ。

 実際に数字を出して尋ねると、答えは変わるのだろうか。「給料が現在の60%になる代わりに、労働時間が現在の60%になるという案についてどう思うか」と聞くと、「賛成」はわずか8.1%、「どちらとも言えない」は46.4%、「反対」は45.5%だった。

これだと1日平均6時間労働、という事になり、残業代はおろか基本給まで削られるということを意識せざるをえない。だから圧倒的に反対をする。当然の結果だろう。基本給をいまより削られてまともに生活ができるとは思えない、という感覚になるからだろう。

「働かざるもの食うべからず」とは言うが、圧倒的に多いサラリーマン層の給料の全体枠を縛った上で何とかしようというのは本質的に間違いである。

最近、車が売れないと自動車メーカーが嘆いていたが、その原因が分かっているのだろうか。車が買えるだけの収入がないからに他ならない。自社の社員が自社製品の消費者である、ということを理解しなければならない。報酬にゆとりがあり「給料シェアリング」をしても食べていける高収入な人の収入を崩して「平均的な収入」の人を増やさなければ全体の仕事量も増えず、更なる仕事減少をもたらすだろう。